ヒトラー、チャーチル、新型コロナ対策

イギリス陸軍の軍人で政治家としても知られたバーナード・モントゴメリーが「私は酒もタバコもやらないから百パーセント健康だ」といったところウインストン・チャーチルは「私は酒もタバコもどちらもやるから二百パーセント健康だ」と応じた。

「私があなたの妻ならコーヒーに毒を盛ってやるわ」

「私があなたの夫ならよろこんで飲みますよ」

こちらはある女性議員とチャーチルとのやりとり。

ふたつのエピソードはNHKBS1で放送のあったフランス製作のドキュメンタリー「鷲とライオン ヒトラーvsチャーチル」で紹介されていたチャーチルの「ちょっといい話」。いっぽうヒトラーにこの種のニヤリとさせる話はありそうもないが、どうだろうか。

チャーチルヒトラーも戦略を論ずるのは大好きだったが、政治家の戦略論と軍人のそれとはズレがあり、軍人からするとはた迷惑な議論が多く、その点では似たところがあった。いまでいえば感染症の治療にむやみに口を出す政治家のようなものか。ちなみに昭和戦前は軍人が政治に横やり干渉し、ついには牛耳ってこの国に悲劇をもたらした。

話を戻すと、ヒトラーは自分に異を唱える者を粛清した。そのため彼の戦略はますますひどいものになっていったのにたいし、チャーチルは反対意見に耳を傾けたから自由な意見交換ができた。修正のできる柔軟さを持つ者と持たない者との開きは大きく、反対意見をどうあつかうかの問題は国家の命運を左右した。

「どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが誤りなのかを自分でも考え、できればほかの人にも説明する」「自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである」

いずれもJ・S・ミル『自由論』(斎藤悦則訳、光文社古典新訳文庫)にある自由主義の根幹をなす所説だが、ヒトラーはこの逆を暴走した。

機を見ての判断という点で一時期のヒトラーは冴えていたが長続きするものではなかった。いっぽうチャーチルは強い信念と異論への寛容とは相反するものではないと身を以て示したのだった。

 

新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)と政治との関係についてもヒトラーチャーチルは考える素材を提供してくれている。

パンデミックを機に民主主義よりも独裁・専制・強権の政治が新型コロナウイルスの封じ込めには有効だとする議論を聞くようになった。多くは中国共産党の自作自演、自画自讃だとしても、新型コロナ対策の緊急措置を利用して権力を強化しようとする動きは世界の各地で見られており、これからの政治になんらかの影響をもたらすだろう。緊急措置が適用されるのは危機のあいだだけで危機が去れば緊急措置はなくなるとはとても信じられないからだ。

民主主義国家と比較して独裁政治は感染症対策として国民の自由を制限し、厳格な措置を講じやすいのは中国が示しているとおりだ。しかし情報統制により疫病を蔓延させたのもまたこの国だった。新型コロナウイルスの危険を警告した医師を武漢の当局が処分し、結果的に死に追いやったのである。

国民の自由と厳格な措置とのジレンマに悩むこともない中国の感染症対策の裏には香港や新疆ウィグル自治区での蛮行がある。両者は表裏の関係であり、独裁政治が国民の命と健康を守るのに適しているなどといえるはずはない。中国型の感染症対策を礼讃する人々は台湾という開かれた社会での成功例は見て見ぬふりをし続けるのだろう。その代表がWHOのテドロス事務局長である。

ならば米国はどうなのか。先日トランプ大統領がジャーナリスト、ボブ・ウッドワード氏に語った発言が報じられていて、それによると大統領は三月十九日、ウッドワード氏に新型コロナウイルスについては「いつも軽く見せたいと思っている」と述べ、さらに「パニックを起こしたくないので、今でもそうしている」と付け加えたという。

ウッドワード氏の著書名を借りると「大統領の陰謀」であり、大丈夫、安心と根拠のない発言を行ったのは事実の封殺や情報の操作にほかならず、そのあいだにウイルスの感染は深刻な状態となった。

そこでヒトラーチャーチルである。ヒトラーは自分に異を唱える者を粛清し、チャーチルは反対意見に耳を傾け自由な意見交換を通じて修正できる柔軟さを具えていた。

トランプ大統領はどうであろうか。

トランプ大統領は医療行政の幹部や感染症対策の専門家たちと真摯に協議を重ねてきただろうか、「どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが誤りなのかを自分でも考え、できればほかの人にも説明する」努力をしてきただろうか、はなはだ疑問で、むしろ大統領は気に入らない医療行政者や専門家の意見には貸す耳を持たないとみえる。自由な意見交換が十分に行われたうえでの施策ではないところにトランプ政権による新型コロナウイルス対策の脆さがある。