GO toトラベル下の日常

核兵器保有などを全面的に禁じる「核兵器禁止条約」を批准した国と地域が五十に達し、国際条約として、二0二一年一月に発効することになった。他方、核保有国である米、英、仏、中、露のふだんはなかなか一致することのない五カ国は反対で足並みをそろえた。既得権益という霧が立ち込めている眺めである。

核兵器禁止条約」の批准国と日本を含む非批准国の二つの立場のうち前者がどれだけ現実に機能するかは厳しいものがあるだろう。しかし核兵器廃絶という理想への道筋を選んだ批准国の意思は貴重であり、裏を返すと米、英、仏、中、露の五大国へのうんざり感は強い。

現実派が理想派を嗤うのはたやすい。しかし現実に浮遊しているだけで 理想を追求しようとしない人々にそれほどの価値があるとは思われず、理想と嗤われても「核兵器禁止条約」の精神は尊い

核兵器禁止条約」の理想に触発されたのか内政面での理想も語ってみたくなった。

きょう十月二十六日菅内閣の発足後はじめての本格的な論戦の舞台となる臨時国会が召集された。自民党社会党の時代に木村禧八郎という参議院議員がいて、「貧乏人は麦を食え」という池田勇人蔵相の答弁を引き出したこの人が質問に立つときは、答弁に備える大臣、官僚の緊張度が違ったと聞く。議場でスマホをいじっている議員諸公にはぜひ知っておいていただきたい話で、野党には鋭い質問を、政府には誠実な答弁を期待したい。

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十一月。お天気キャスターが「きょうは小春日和の暖かな一日でした」というのを聞きたい時期となった。 永井荷風は「大窪だより」に 「青空の色のうつくしさは東京にては小春日和の十月よりも初冬いつしか過ぎて菊も末になり候頃より十二月になりていよいよ濃く滴るやう見え初むるものに御座候」と書いていてこれからの青空も楽しみである。

ほぼ毎日上野界隈をジョギング、散歩する。そういえば酉の市の季節なのにポスターを見ない、と気づいた。そんなはずはないのだろうが意識がそちらのほうに向かわず、見れども見えず状態に陥っていたのかもしれない。ことしは火災の多いといわれる三の酉まであるのだが新型コロナウイルスによる入場規制があり、来られない人には特別に郵送にてお守りを授与しますとの由。

「賑はひに雨の加はり一の酉」(木内彰志)

「一の酉夜空は紺にはなやぎて」(渡邊千枝子)

さて酉の市の宵は紺にはなやぐことになりますかどうか。

確かなのは新型コロナ対策であらかじめ入場許可された人だけが神社に入るので「酉の市に到りも着かず戻りけり」(数藤五城)といった人出と賑わいはない。

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昭和十八年に玄米の配給制が実施されたとき東條首相の甥にあたる人物が「東條だけが白米を食べている」と発言して物議を醸したという話が百足光生『荷風と戦争』にあった。あの一族にもおもしろい人がいたんですねえ。東條の甥のちょっといい話に「一杯やりたい夕焼空」(山頭火)といった気分になった。

半藤一利『昭和史戦後篇』によれば東京裁判ソ連東條英機に死刑罪を求めなかった。当時ソ連には死刑がなかったために死刑求刑にはすべて反対したのだそうだ。知らなかったなあ。現実にはスターリン独裁下で多数の虐殺やシベリア送りにより実質的に大量の死刑者を出しているから死刑罪がないというのはかえって怖い。その昔、ソ連や中国には暴力団がないと喧伝されたが国家が超暴力団だったわけだ。

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アメリカ大統領選挙の開票がはじまった。統計上ではバイデン氏の優勢が報じられてきたが、数日前にNHKBS1が放送した、大統領選を控えたいま大衆食堂ダイナーを訪ねて、人々の本音=リアルボイスに耳を傾けるという「ザ・リアル・ボイス ダイナーからアメリカの本音が聞こえる2020」をみたところ、ジャーナリズムが伝える数字よりもトランプ大統領への支持は底堅いように思われた。じっさい途中開票結果にはトランプ大統領の選挙の強さが示されている。

トランプ、バイデンのいずれが勝利するかを注視しながら感じたのは選挙をめぐるいろんな問題はあってもスリリングで、興味深いアメリカ大統領選のあり方で、これに較べれば日本の国政選挙なんて消化試合に等しい。

自民党が強すぎるのか、野党があまりにだらしないのかはともかく、確実にいえるのは消化試合では政治に関心をもつのは難しい。むかしも消化試合は行われていたけれど、自民党内の権力抗争、派閥抗争が面白い話題を提供してくれていた。いまは自民党の総裁選も消化試合の様相で、石破とか岸田とかいう人には主流派に闘いを挑む気概を感じない。

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七十歳になったのを機に二度目の『荷風全集』通読に取りかかった。年齢的に三度目はないかもしれないなんて考えると気が急いて面白くないから、気の向くまま手にした作品を読み、併せてその作品を収める巻を通読するといったやり方で、まずは岩波書店旧版『荷風全集』第十三巻にある『紅茶の後』を読んでいる。同巻にはほかに「妾宅」「大窪だより」「日和下駄」などが収められている。

そこでまずはご挨拶とモチベーションを高めるのを兼ねて久しぶりに荷風の生誕地を訪れた。東京ヒーローならぬ東京貧老のGo toトラベルで、根津の自宅から弥生坂へ出て、坂を上り本郷へ、そこから春日へと下り、富坂を上がって伝通院に立ち寄ったあと、生誕地であるかつての東京市小石川区金富町四十五番地を訪れた。現在は文京区春日二丁目。三井家や川口アパートのある閑静な地域だ。

荷風の家は維新ののち水戸の御家人や旗本の空き家敷が売りに出されていたのを父久一郎が三軒まとめて購入した広々とした地所にあり、のちの荷風、永井壮吉は一八七九年(明治十二年)十二月三日にここで生まれた。

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そのころ初夏になると時鳥の鳴くのが聞こえたという。「葷斎漫筆」にはかつてこの近くに大田南畝が住んでいたのが嬉しく、尊敬憧れの情は深まるばかりとある。

金富町の名はいまはないが文京区立金富(かなとみ)小学校の校名として残されている。なお荷風の号のひとつ金阜山人(きんぷさんじん)は金富町に由来している。育った地域と若いころを回想したいくつかの随筆のなかに「礫川徜徉記」がある。礫(つぶて)を小石川にリンクしたものでこちらも礫川(れきせん)小学校として校名となっているのがうれしい。この学校の生徒さんは漢字に強そうだなあ。

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ただし荷風が通学した小学校は黒田小学校初等科で戦後は文京区立第五中学校となったが生徒数減による学校再編成で二00九年三月に廃校となり、いまは文京区基幹相談センターが建っている。なお黒田小学校、第五中学校跡地にある石碑には卒業生として松平恒雄永井荷風黒澤明の名が刻まれていた。

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第二次世界大戦後に限っていっても日本政府が政治的に議論のある諸問題について学者の意見を総合的、俯瞰的に検討したうえで積極的に採用したり、尊重したりした印象はない。どちらかというと軽視してきたと思う。

異論異見もあっての世の中だが政府の意見とは異なる学者のそれに耳を傾ける気のない日本の政治はさらに学術会議のメンバーも統制しようとするのだからよくよく権力を用いるのがお好きな新内閣である。

先日菅内閣により任命拒否に遭った六名の先生方はいずれも文系だが、これからは軍事や原発、大規模公共工事等について政府の方針に異論を述べる恐れのある理系の先生方が任命を拒否される番だろう。それにこんな理系の先生がいては 文系とは違って 閣僚や議員諸公の腹を肥やす妨げになるからしっかりと狙い撃ちするに違いない。それやこれやで日本学術会議の改革が政治の争点となっている。

いま読んでいるユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q アサドの祈り』でカール・マーク警部補が「上に立つ人間というのは、すぐに改革をしたがる。それが彼らの弱点だ。上司ー特に公務員の指導的立場にある人間ーという生き物は、改革を叫ぶ以外に自分たちの存在意義を証明する方法がないのだ」といっていた。菅首相は任命拒否から学術会議の改革に論点をずらしていて、おそらく改革をブチ上げていれば格好がつくと考えているのだろう。

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十一月十五日、日曜日の午後、昨日行われたラグビーテストマッチニュージーランドオールブラックス)vsアルゼンチン(ロスプーマス)をJ SPORTSオンデマンド放送で観戦。大方の予想に反してアルゼンチンが勝利した。これまでアルゼンチンはニュージーランドに二十八敗一引分だったから三十戦目にして初勝利をあげた。二0一五年W杯で日本が南アフリカに勝ったときとおなじ気持をアルゼンチンのラグビーファンは味わっているだろう。初勝利に祝意を贈ろう。

この試合はオーストラリアで行われていて、これに地元オーストラリア(ワラビーズ)が加わっての三カ国対抗は全試合がこの国で行われる。新型コロナウイルスの影響でホームアンドアウェー方式はできない、それと南アフリカは参加していないなどの制約はあるが、いまテストマッチが開催できるのは羨ましい。そんなことも思いながら自宅で珈琲を飲みながらのラグビー観戦だった。

緊急事態宣言からあと喫茶店へ行く回数は減ったうえにGotoなんとかの贅沢はできない年金生活者としてはこのところ少しリッチにとブルーマウンテンを淹れている。

同日IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来日し、首相官邸菅首相と会談して、延期された東京オリンピックパラリンピックの開催実現に向け緊密に連携していくことを確認した。

会長が「東京大会を必ず実現し、成功させる」といえば、首相は「人類がウイルスに打ち勝った証しとして、東日本大震災から復興しつつある姿を世界に発信する」と語った。

首相がいうように「人類がウイルスに打ち勝った証し」として開催できればよろこばしいのだが、しかしそれは天気予報に例えれば晴れマークのときのことで、歌の文句じゃないけれど嵐も吹けば、雨も降る、そのときにどうするのかが気がかりだ。天気予報を無視するより十分見極め予想をして行動するのが賢明なのはいうまでもないが、東京五輪パラリンピックのときの嵐や雨の予報は考慮するに及ばないというのであれば 清水の舞台から飛び降りるとして太平洋戦争に突入したときとおなじ精神構造としかいいようがない。

おそらく曇りマーク、雨マークのときの対応策も話し合われたと推測するが、弱気に映るのを配慮しているのだろうか。高齢者のわたしは感染症が現状のまま開催となれば怖ろしいので、できれば大会期間中とその前後は東京を離れたいと思っている。

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「國破れて山河在り」ではじまる杜甫「春望」に「峰火三月に連なり/家書萬金に抵る」という一節がある。戦いは三か月の長きにわたり、たまに来る家族からの便りは万金にも値するほど貴重であるといった意味で、杜甫が生きた戦乱の時代にあって家族からの音信がどれほど難しく、貴重なものであったかの思いが込められている。

そしていま情報通信機器の発達により「家書萬金に抵る」状況は大きな変化を遂げたいっぽうネットでの誹謗中傷からテロ集団の兵士の調達までさまざまな不都合が生まれている。

杜甫の詩集の傍にはスマートフォンがあり、みているうちに子供のころラジオで、復員した兵士や戦災で散り散りになった人たちが行方のわからなくなった家族や友人に消息を伝えようとする尋ね人の時間という番組があったのを思い出した。戦後もしばらくは「家書」の伝達は容易でなかった。

そのころを回想して作家の小沢信男氏は『俳句世がたり』に「あのころは、じっさい世界がひろかった。海のかなたに自由博愛の国。労働者農民の祖国。または愛と芸術の都とか。空腹の日々ながら、夢にも滋養があったものか」と書いていて、淡き夢にもそれなりに期待が伴っていた敗戦の焼跡から復興の日々であったようである。

それからおよそ七十余年、「労働者農民の祖国」は早々に全体主義の化けの皮が剥がれ、そこに勝利したとはしゃいでいた「海のかなたに自由博愛の国」はアメリカ・ファーストと吠えまくった大統領のお人柄も作用してか大統領選の混乱が長びき、選挙のひとつもまともにできないのかと疑問を覚える国となっている。

「夢にも滋養があった」、夢が身体を養ってくれたという小沢信男氏の言葉と対比すれば、現代は夢にも強壮剤やサプリメントをあたえてやらなければならない時代のような気がする。

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十一月二十三日現在、新型コロナウイルス感染症の感染者は132358例、死亡者は1981名となっている。密は避けよといわれるいっぽうでGO toトラベルやGO toイートの施策により観光地の人出はずいぶん多くなっている。人が動くと感染リスクは高まるが、政府は経済を回してゆくためには GO toトラベルやGO toイートは必要だとして実施に踏み切った。

菅首相と山口公明党代表との会談で、感染拡大防止とGO toトラベル、 GO to イートの推進を適切に図っていかなければならないことで一致したと報道があった。

「適切」という抽象的な言葉について、わたしは 新型コロナウイルスの陽性者が多少増えてもやむをえない、 Go to推進のために医療従事者は現状を甘受すべきだと勝手に解釈したが意地の悪い見方だろうか。適切は便利な言葉だが具体性を欠いている。健康生命に関わることはもっと適切にいってほしいものだ。

いずれにしてもわたしに旅行や飲食のためにGO toを利用するカネはなく、ちょいと検討してみるかという気になってもネット上でどうすればよいのかわからない。金銭、情報リテラシーともに乏しいのもときによいものである。

そしてこの日、図書館に行っていると写真の旅行者集団に行きあった。いくらなんでもこの感染症禍のもとで住宅地を練り歩くなんて!

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狭い道でゆっくりすれ違うのが怖く、慌てて駆け抜けた。GO toトラベルの推進を訴え、他方で密は避けよとおなじ口で語る政治家諸公にこの光景はどんなふうに映るだろう。

スポーツ観戦にスタジアムに行く、レストランや居酒屋に入る、いずれもリスクを取ったうえでの行動であり、密を避けたい者は足を運ばなければよい。観光地もおなじく旅行者は大げさだが覚悟のうえで出かけているはずだ。しかし、近くに根津神社という人気スポットがあるとはいえ住宅地に集団で押しかけるのはそれこそ適切ではない。

感染防止と経済との両立は大切だし、旅行業界や飲食業界がたいへんなのはわかっているつもりだ。ニュースで事業者が感染予防策に努めている姿を見ると頭の下がる思いがする。しかし旅行社が集団を引率し住宅地を練り歩くのは納得できない。