ああ松茸!

雨の日午後。緊急事態宣言前であれば晴雨にかかわらず午後は喫茶店へ行こうか、映画にしようか、ともかく外に出ようとしていたのに、いまは自室で音楽を聞き本を読むなどしてステイホームをたのしんでいる。それに宣言が解除になったといっても高齢者には不安が大きい。

きょうはルイ・アームストロングを聴きながら山頭火の日記その他を読んだ。ホットファイブやオールスターズの演奏、エラおばさんとのデュエットなどルイ・アームストロングを堪能した。

 山頭火の日記に「閑愁」という語があった。前後に文章はなくぽつりと置かれてあり、俳人の造語と見当をつけて調べてみるとれっきとした漢語で漱石漢詩に用いていた。閑居閑暇などのとき生じる物思いの意だから徒然に通じている。

閑愁漂うなかA X Nという海外ドラマ専門チャンネルを契約してアトランダムに視聴している。お気に入りは「CSI:科学捜査班」でシーズン3を終えた。四十五分で短篇小説をひとつ読むような感じかな。ラスベガス警察の鑑識課捜査員キャサリン役のマーグ・ヘルゲンバーガーという女優さんがかっこいい。気がつくと物語追うのを忘れて彼女の表情に見とれていたりする。

海外ミステリーが好きだからテレビドラマも海外作品に目が向きやすいのは相変わらずだが、ステイホームのおかげで日本のテレビドラマもぽつぽつみていて、なかでも時代劇がよくてこれぞ独壇場、他国の追随を許さない。当たり前か。森繁久彌西郷輝彦尾上菊五郎の半七捕物帖、松本清張原作の時代物、多岐川恭原作の人情物、そうしていま要潤の人形佐七捕物帖を録画している。

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吉村昭『街のはなし』(文春文庫)ははじめ雑誌「クレア」に「箸袋から」の総タイトルで連載されたエッセイ集で「小料理屋などで飲んでいる時、ふとエッセイの素材を思いつくことが多く、忘れぬように箸袋にボールペンなどで書きとめる」のに由来している。

著者は「鳥肌が立つ」を涙が出るほどに感動したという意味で使う方がいて、苦言を呈している。小料理屋の箸袋に書かれた話題かもしれない。本来は寒さや恐怖などによって、皮膚に鳥肌があらわれる意味だから感動に用いるのは誤用で、日本の選手がメダルを獲得し表彰台で日の丸を仰いだときの感想を「それは、日本人にとって鳥肌が立つ一瞬でした」などといったら、まさに鳥肌が立つであろう。

わたしにも「箸袋」に相当するメモがある。退職して十年、このブログを書き継いでいて、記事になりそうな素材をスマートフォンにメモしている。

ブログを書く意欲、気力は減退気味で、もう止そうかと思うときもあるが無職渡世の年金生活者には時間の活用とともに認知症予防の一助にでもなればありがたいとなんとか続けている。継続はわが「箸袋」の充実からだ。

ついでながら吉村昭は「図書館」というエッセイに(『私の引出し』所収)「故人となった或る著名な脳学者が、常に文字にふれている人間の頭脳が最も冴えるのは平均七十二歳で、それを峠に徐々に機能が低下してゆく、と語った。文字と無縁の人間が、五十四歳を峠に急速に低下するのと対照的だ、とも言った」と書いている。本を読み、ブログを書いている当方には希望があるような、そうでもないような話だな。

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東映チャンネルで「博奕打ち総長賭博」を鑑賞した。三島由紀夫ギリシア悲劇の風格をもつ任侠映画と激賞した作品は何度みても粛然たる気持になります。今回気づいた一点、ラストシーンで中井信次郎(鶴田浩二)にたいする判決文に「職業博徒」とあった。時代は昭和十年、博徒は職業として公認されていたのだろうか?

このあと山頭火の日記を読んでいると「食べる物、飲む物がいよいよますますうまくなる。松茸と酒、酒と松茸、ああ松茸、ああ酒!」(昭和十三年九月二十二日)とあり、「博打打ち総長賭博」のころ、貧しい行乞の僧の食卓にも松茸はあり「松茸、松茸の香は追憶をかぎりなくひきいだす」のだった。

おなじく同日記より。

「秋いよいよ深し。松茸を焼いて食べ煮て食べる、うまいな、うまいな」「ちよいと一杯が三杯となつた!ほろ酔のこころよさ!茶の花がうつくしい、熟柿もうまい」「午後、湯屋へ、ばらばら雨に濡れながら。今日は宮市の花御子祭ださうな、昔なつかしいおもひにうたれる。おだやかな夕暮、よき眠あれ」。

記憶では一九八0年前後に山林を所有する知人から松茸を頂戴して口にしたのがいまのところわたしの直近の松茸体験である。知人は数年後故人となったからもう恵贈はない。

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丸谷才一『横しぐれ』は語り手の「わたし」の父と友人の黒川先生とが、むかし道後の茶店で酒飲みの乞食坊主と行き会ったという話があり、もしかしてその乞食坊主は山頭火だったかもしれないと疑問を抱いた「わたし」は山頭火の日記をはじめとする資料を探索し、想像をめぐらすうちに父の、家族の、そして「わたし」の思いがけない過去の姿が立ち現れてくる、といった小説で、この名篇を読んで以来「うしろすがたのしぐれてゆくか」の種田山頭火(1882-1940)は気になる存在となった。

調べてみると『横しぐれ』は一九七五年に刊行されていて、わたしが読んだのは松茸を頂いたのとおなじ一九八0年前後とおぼしく、四十年近く山頭火の著作を手にしないままに気になる存在なのだった。ところが過日電子本の目録に『種田山頭火全集』があり、すぐに購入して気楽に覗いているうちにぐいぐい引き込まれた。百円か二百円だったからこのうえないコストパフォーマンスだ。

句集、随筆、日記の三部構成で、わけても大部の日記は、この俳人が日記を遺していたことすら忘れていたわたしを、魅惑の鉱脈を探り当てた気分にさせた。いちばんの魅力は折々に漏らした所感で、これを編めば警句、金言集になるだろう。いくつか載せておくが、そのまえに萩原朔太郎アフォリズムについての所論をみておこう。

アフォリズムとは、だれも知る如くエッセイの一層簡潔に、一層また含蓄深くエキスされた文学(小品エッセイ)である」「それは最も暗示に富んだ文学で、言葉と言葉、行と行との間に、多くの思ひ入れ深き省略を隠して居る」「アフォリズムはそれ自ら『詩』の形式の一種なのである」(萩原朔太郎「ニイチェに就いての雑感」より)

以下、山頭火アフォリズムを五つ。

「一杯の酒は甘露だった、百杯の酒は苦汁(にがり)となつた」

「貧乏はよい、しかし貧乏くさくなることはよくない」

「おだやかに、けちけちせずに、つつましく、くよくよせずに」

「私は与へることが乏しい、だから受けることの乏しさで足りてゐなければならない」

「不幸はたしかに人を反省せしめる、それが不幸の幸福だ、幸福な人はとかく躓く、不幸はその人を立つて歩かせる!」

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老いをみつめる山頭火の日記はことし古稀を迎えるわたしにはいまが読みごろで、若いときだったら通読できなかったかもしれない。

「私にはもう、外へひろがる若さはないが、内にこもる老ひはある、それは何ともいへないものだ、独り味ふ心だ」(昭和九年十二月八日)。

内にこもる老いとして俳人がみつめるのは食欲と性欲だ。

「性慾がなくなると、むなしいしづけさがやつてくる。食慾がなくなると、はかないやすけさがやつてくる」「性慾はなくなつた、食慾がなくなりつつある、つぎには何がなくなるか!」(昭和七年六月十一日)

「一杯やりたい慾望、性慾のなくなつた安静。私の生活もいよいよ単純、簡素、枯淡になつた」(昭和八年六月十九日)

そしてわたしも自身の欲望を思う。

食欲はお酒とあいまって好調をキープしているけれどもうひとつは複雑だなあ。老いとともに身体の機能が衰えるのは致し方ないにしても、欲も衰えるとは限らない。性欲がなければないで安静になってよろしいけれど、なくなって「むなしいしづけさ」がやって来る保証はない。身体は思うにまかせないのに欲望の埋み火はちょろちょろ燃えている状態だってありうる。

谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』の日記の書き手である督助老人はバイアグラといった妙薬も助けにならない御仁であるが性欲は旺盛で、元ダンサーで脚の美しい息子の嫁に懸想する、枯淡などお呼びでない脚フェチの爺さんである。

わたしの行く先は、おだやかにつつましい安静枯淡、それとも『瘋癲老人日記』の世界か。

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七月八日。去年の参議院選挙をめぐる選挙違反事件で、東京地検特捜部は河井克行法務大臣と妻の案里参議院議員が、地元議員らに票の取りまとめを依頼し、現金を配ったとして公職選挙法違反の買収の罪で起訴した。特捜部が起訴した買収資金の総額は二千九百万円余りに上っている。これにたいし安倍首相は「かつて法相に任命した者として責任を痛感し、国民に改めてお詫び申し上げたい」と述べていた。これまで責任を痛感するといって責任を取ったためしはないからいまさら反応する余地はないが、「かつて」にはちょっとばかし反応した。法相任命を遠い過去の話にしたい心の底が透けてみえる「かつて」である。それともこの人の「かつて」は「つい先日」の意味なのだろうか。

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七月九日都内で新たに二百二十四人が新型コロナウイルスに感染し、四月十七日の二百六人を上回りこれまでの最多となった。高齢者は重篤になりやすいと聞くから余計に不気味だ。

緊急事態宣言が解除になったので一週間に一度くらいは喫茶店で本を読もうとしても東京都での新型コロナ感染者数のニュースに接すると心が萎えてしまう。毎日の上野公園でのジョギングのリスクは許容してもこの感染者数では喫茶店へ行く勇気はなかなか湧いてこない。 わたしが臆病すぎるのかしらん。

若い友人の勤務先が池袋で、気を付けて、とメールしたところ、こちら危険なのでお近づきにならないようにとご注意があった。老いては若者に従う。

こうしたなか大規模イベント参加人数の上限が千人から五千人となり、制限付きとはいえプロ野球にも観客が戻って来た。下流年金生活者には関係のない話なので貧乏もときには気楽でよいが、他方でなんらかのイベントに出かけたい方は、感染状況を睨みながら心配し、迷っておられるだろう。

都知事官房長官は感染者数が増えたのは夜の繁華街を主に検査数を増やしていることも一因といっている。経済の運行に重心を置こうとしていろいろと理屈を述べておられるのだろうが、説得力があるとは思われず、安心感が増すこともない。

二十二日からは国内旅行振興策のGoToキャンペーンが予定されているが、感染者数が増加するなかでの旅行は消費者の度胸に期待するほかなく、夜の街は賑わっているそうだから人々の勇気は大したものだとしても蛮勇頼みの経済運営は危険だし長続きしないだろう。

夜の街といえば萩原朔太郎に「居酒屋の暗き床をばみつめつつ何思ふらむかかる男は」という一首があった。居酒屋をホストクラブやキャバクラに置き換え、男女問わずにすれば、いまの状況になる。政治家は自身を安全地帯に置いて、特定の業界をあげつらうのではなく、「何思ふらむ」と向き合ってみてはいかがか。

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トランプ大統領の姪が暴露本を出版し、なかに替玉大学受験なんかの話があるそうだ。姪はテレビのインタビューで辞任を求めていた。

先日はボルトン前補佐官が、トランプ氏や政権を支える面々がどれほどクズかとこき下ろした本を出したばかりだ。この現象についてわたしは、商売には大統領在職中が 都合がよいと踏んでの駆込み出版と解釈した。それだけ再選に疑問符が付いているわけだ。

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全国一斉でGoToキャンペーンをやりますといっておいて後から東京都は外します、キャンセル料は負担しませんというのはジャンケンでいえば後出しにほかならず、卑怯極まる行為である。批判を受けてキャンセル料は国が負担するとなったがこれとても税金が用いられるから、稚拙な制度設計が国民に余計な負担を強いる結果となった。GoToキャンペーンを利用する気のない貧老(わたし)にとっても腹立たしい。

ズルをするな!はまっとうな保護者ならしっかり教え込むことがらなのに国土交通省の大臣や役人は教わらなかったのだろうか。それとも首相がズルの塊のような方だから、ジャンケンの後出しくらいは大したことないとタカを括っていたのか。

「信無くば立たず」。昔はよく政界で語られた言葉で、わたしはこの言葉を発する政治家には格好つけるな!と胡散臭さを感じたものだが、聞かれなくなるとこれはいかんなと思う。日本の政治でこれほど「信」をないがしろにする内閣はわたしの知る限りほかになく、いささか原理主義的かなと承知しながらも、政府推奨の新型コロナ接触確認アプリについても不信の目で見ている。

いまこれを書いている七月二十三日、東京で三百六十六人の新型コロナの感染者が確認された。昨日東京都の新型コロナウイルスのモニタリング会議では杏林大学の山口芳弘先生が専門家の立場から「国のリーダーが言っている『東京の医療はひっ迫していない』というのは誤りだ。医療体制がひっ迫していないから遊びましょう、旅をしましょうと言うことが、これだけ疲弊している現場の医療従事者にどういうふうに響くか、想像力を持っていただきたい」と指摘していて、ここでも政治における「信」のありかたが問われていた。

なお別の報道にあった山口先生の発言は以下のとおりで、わたしは胸が熱くなった。

「赤(モニタリングの指標で最も悪い段階)ではないが、医療関係者をはじめ都の職員、保健所、ホテル、様々な人の努力や苦労によってオレンジ(の段階)で踏ん張っている、こらえていると知事にはご理解いただきたい。こうした現場の労苦に対する想像力を持たない方に、赤ではないということで『大丈夫だからみなさん遊びましょう、旅しましょう』という根拠に使われないことを切に願います」

医療従事者にさらに負荷を掛けてはならないのは当然だが、現実はコロナ患者を受け入れた病院は赤字が拡大し、あろうことかボーナスカットが相次いでいる。医療従事者に感謝をというなら、コロナ患者を受け入れた病院ぐらい赤字にならないよう、勤務する方々には例年より多いボーナスを貰えるようにするのが政府の仕事ではないか。 GoToキャンペーンのキャンセル料やアベノマスクの経費がここに使われていればと思わざるをえない。