『死都ブルュージュ』(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ二十四)

日本で『死都ブリュージュ』を高く評価した人に永井荷風がいる。「三田文学大正元年九、十月号所載の「文藝読むがまゝ」で荷風はこの作品を『廃市の鐘』の題で紹介してあらすじを述べ、さらに舞台を奈良の都にして古代を崇拝する詩人と現代的な女性との恋の破綻を描きたいと思ったが、模倣に過ぎると考え、取り止めたと書いている。

「憂鬱なる若き男あり。恋せる妻を失ひてよりは、唯手筐に納めしその遺髪をのみ打眺めて、独り悲しく世を送らんと思ひ、死せるが如きブリユウジユの廃市を撰みて、茲に住みぬ。尼寺多き廃市の淋しさは、悲嘆に沈みし彼が心のさまによく調和する事を得たればなり。彼は日々廃市の街を散歩せしが、或悲しき雨の夕暮、霞み渡る街頭のかげに、突然亡き妻を生写しにせしかと思はるゝ旅の女を見たり。あまりの恋しさに、彼はやがて其の女の旅役者なる事を知りしかど遂に狎れ親しみて、折々は亡き妻の衣服なぞ粧はしめて楽しみぬ。然れども廃市に漲り渡る宗教的情緒は絶えず彼の心を苦しめて止まず。遂に結末の大波乱を生ぜしむに至れり」。

荷風が示した梗概の一節で、写真の橋の架かる建物が文中にある「尼寺」にあたる。

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