ネルソン・マンデラ氏が亡くなって・・・

日本橋三越本店で写真展「昭和」を見た。昭和初期の震災復興から昭和四十年代東大安田講堂に火炎瓶が飛び交うあたりにかけての写真が多数展示されていた。モダン東京から戦中期へ、ここからは地方で撮った作品も紹介され、作品鑑賞とともに昭和史の勉強になりました。

昭和のはじめ、戸板康二の言う「昭和の小春日和」のころの東京を撮った写真はささやかながら鑑賞とコレクションに努めてきた。濱谷浩、師岡宏次、桑原甲子雄・・・・・・ほとんどは既に見ていたが、こうした写真展で接すると写真集のときとは異なりノスタルジックな時代が匂い立つような気がする。
フロリダダンスホールの光景を撮った写真を見ているうちに、いつだったか京橋のフィルムセンターでお年寄りどうし「桑野通子と高杉早苗はどちらが人気ナンバーワンだったんだろう」「さあ、どうでしたでしょうね」と話していたのを思い出した。ダンサーから女優になった二人がいっしょにフロリダに勤めていた時期はあったのかな。
写真展のあと日比谷へあるき、みゆき座でブライアン・デ・パルマ監督の新作「パッション」を観て帰宅。
    □
「パッション」についてのメモ。
世界的な広告代理店のベルリン支社を仕切るクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)。そのもとでイザベル(ノオミ・ラパス)は忠実なアシスタントのダニ(カロリーネ・ヘルフルト)とともに新作スマートフォンのプロモーション・ビデオを制作し、ロンドンでのプレゼンテーションは大成功だったが、本社復帰という自分の人事に利用しようとするクリスティーンにすべて横取りされてしまう。イザベルはプロモーション・ビデオの修正版をネットに流して、クリスティーンへの対抗措置をとる。こうして強欲な牝犬どうしの壮絶な闘いが展開される。上出来の娯楽映画だ。いつもながらの夢の多用は気になるが、まあこの人のクセだから寛容でいよう。ヒッチコックを引き合いに出したりすると俗臭紛々などと嫌味を言いたくなるから、あの巨匠とは関係なく愉しめばよい。

    □
久しぶりに古今亭志ん朝師匠の「酢豆腐」を聴いた。それで絵・落合登、文・西川清之『絵本・落語長屋』(青蛙房)に「酢豆腐」の後日談があったのを思い出した。
酢豆腐のパンチを喰らった若旦那はそれから半月近くも寝込んでしまう。さすがに若い衆たちも心配になり見舞いにやって来る。すると人のよい若旦那は酒を振舞ったうえに、しかるべきお小遣を渡したという。病後、からだを丈夫にしようと義太夫をはじめ、のちに「寝床」の旦那になったというのがオチ。
『絵本・落語長屋』には「明烏」の若旦那のその後もある。こちらの若旦那はあの吉原体験が身を持ち崩すきっかけになり、とうとう勘当され、のちに沓掛時次郎として名を残したんだって。
こういうお遊びができるのは、落語の人物の個性に共通性、普遍性が見いだされるからだろう。そして多くは「いまを生きる」人たちだ。講釈の「むかしを生きた」人々と比較すればよくわかる話で、扱う人物の個性も講談は共通性、普遍性ではなくその人物特有のものが強調される。
    □
東京マラソンに応募したがまたしても落選。今回で三度目だ。現職時は二月下旬から三月上旬は大会に出られる環境にはなく、応募は退職してから始めた。やがて出場の機会はあると期待して、そのためにはせめて六十代のあいだは走り切る自分でなければならない。落選を激励と考え、気を取り直して、友人が走る荒川リバーサイドマラソンのエントリーに荒川区総合スポーツセンターに行って来た。上野に出て三ノ輪まで歩くと南千住のセンターはすぐだ。手続きのあと浄閑寺永井荷風の筆塚に詣で、日本堤で『濹東綺譚』を偲んだ。
けっこういい距離を歩いた。たしかにウォーキングは健康によいのだろうが、しかし自分は歩く人ではない。ジョギングの人でもない。タイムはジョガーのそれであっても、精神はマラソン人でありたいと願う。
「砂利路を駆け足でマラソン人が行き過ぎる」。五輪真弓の名曲「恋人よ」にあるマラソン人だ。
    □
注文してあった「マダムと女房、お琴と佐助」「隣の八重ちゃん」のDVDが届いた。ちょうど田中眞澄『本読みの獣道』(みすず書房)を読んでいて、「『マダムと女房』は一九三一年の作。ファースト・シーンは郊外の原っぱで、ポツポツ文化住宅が建ち始めた風景だが、ロケーションは自由が丘付近で行われたと伝わる」とあった。前からどこで撮影したのだろうと思っていたが、自由が丘あたりだったのか。
後半の「ふるほん行脚」を読み終えたところで古本屋めざして各地に旅する著者の筆致が嬉しい気分にさせてくれた。著者没後の本なので獣道(野生の動物が通ることによって自然にできる山中の道)がここで途絶えてしまったのが残念だ。「専門家・研究者にあらざるわが読書は、人間学、或いは酒の如きか。酒場を問わず、酒を択ばず。百円古本は日々の糧。ただ己を語る。『例之酒癖・一盃綺言』」との著者の言が、本の置場と読破率の低迷で本の購入を躊躇するわたしに猛省を迫る。酒を飲み、本も買ってこそ一盃綺言(一杯機嫌)は得られるのだ。
    □
田中眞澄『本読みの獣道』読了。本書第一章は「いつか来た道 とおりゃんせ」。副題「五0年代児童が読んだ本」。アンデルセン、小公子、小公女、三太物語、ロビンソン物語、若草物語アルプスの少女ハイジ飛ぶ教室、コタンの口笛、バンビ、君たちはどう生きるか等が取り上げられている。
五0年代児童が読んだ本として田中氏が挙げた本を、わたしは一冊も読んでいない。社会人になって読んだのはわずかに『君たちはどう生きるか』があるだけ。一九五0年生まれのわたしは、同じ世代が子供のころに読んでいたとおぼしい書物とまったく無縁であったらしい。
同世代が小公女や若草物語を読んでいたとき自分は何を読んでいたのかまったく記憶にない。小学五年で吉永小百合主演の『青い山脈』を観て石坂洋次郎の原作を新潮文庫で読んだのがわが読書のはじまりと自覚しているが、それまでに読んだ本の記憶が全然ないというのが不思議だ。
    □
南アフリカネルソン・マンデラ元大統領が亡くなった。ご冥福をお祈りする気持から録画しておいた「マンデラの名もなき看守」を観た。マンデラ氏の生涯では「インビクタス/負けざる者たち」の前段にあたる。彼との関係からグレゴリー看守が職場はもとより妻からも見離されそうになるほど孤立する過程には身につまされたが、精神面で国内亡命者にならなかったところがタフだ。

興味深かったのがダイアン・クルーガー(きれい)演じたグレゴリー看守の妻グロリアの人物像だ。幼い娘から白人と黒人はどうして違うのと訊かれ、神のご意志なの、スズメとカラスが、アヒルとダチョウが違うのと変わったことはないのと答えていた彼女が徐々に変わる。
グロリアにとり夫が極悪の囚人マンデラの看守に当てられたのは出世のタネだった。それが夫とマンデラとの関係により同僚の妻たちからつきあいを拒否され、一転、マンデラは災厄のタネとなる。顔も知らない獄中の男にどうしてこんな思いを味合わされるのか。ここから彼女が変化してゆく姿がアパルトヘイト末期の国民感情をうかがわせる。
グレゴリー看守は、黒人に温情をかけた者として仲間内から排斥された。一九五0年代アメリカ東部コネチカット州ブルジョワ家庭の主婦を描いた映画「エデンより彼方に」でも黒人の庭師と親しくなったこの主婦が仲間から除け者にされる。差別者は差別の対象者にとどまらず差別をしない者を迫害する。部落差別はどうだったのだろう。かつての日本人もここまでやったのか。もう少しあっさりしていたと思いたいがどうだろう。それはともかく、いじめのばあいでも、ある生徒がいじめを受けていて、加害者側にいる生徒が傍観するだけで実行行為をしないとつぎのいじめの対象とされるという話を聞くから、この点でいじめと差別の構造は共通している。
ところで「マンデラの名もなき看守」にはグレゴリー看守がラグビーの試合でトライするシーンがある。ラグビー大国南アの日常風景で、彼は職場で排斥される前は看守たちでつくるラグビーチームのメンバーだった。マンデラ氏も黒人のクラブチームでプレーした経験があると聞いている。看守と囚人はときにラグビーの話をしたのかなと想像した。