「LBJケネディの意志を継いだ男」

一九六三年十一月二十二日金曜日、現地時間十二時三十分、第三十五代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディテキサス州ダラス市内をパレード中に狙撃され、死亡した。
事件の一報が日本に届いたのは十一月二十三日午前四時ごろで、この日、日米間初の衛星生中継番組がNHKテレビ朝日(当時の東京教育テレビ)で予定されていたのが、急遽放送開始時間は繰り上げられ、番組も大統領暗殺のニュースに変更され、奇しくも日米共同の実験放送は大統領暗殺の速報と狙撃の瞬間の映像という衝撃的なものとなった。
わたしの記憶では、事件を知ったのは二十三日の正午前で、映画館へ行くのに電車に乗っていて車窓から見た新聞社の電光掲示板に報道されていた。一九五0年生まれだから十三歳のときのことだ。あの日、何の映画を観たかは思い出せない。ニュースが大き過ぎて映画の記憶を吹き飛ばしたようである。

ロブ・ライナー監督「LBJケネディの意志を継いだ男」はケネディ大統領暗殺のあと副大統領から大統領に昇格したリンドン・B・ジョンソンの伝記ならびに暗殺前後のアメリカ政治を描いたドラマで、あの日、電車の窓からみた電光掲示板で知った出来事によりアメリカの政治はどのように動いたかを勉強させてもらった。その意味で、有益な映画だった。
七十歳近くなるとこれまで生きてきた時代の大事件を振り返ってみたいという気になるものらしい。将来のことに関わる度合は減るから視線は過去へと向かいやすい。
LBJJFKの意思を継いで公民権法を成立させた。ただしLBJは副大統領としてJFKを補佐するべく政権中枢に招かれた人ではなく、そこには民主党の海千山千のうるさ型院内総務は取り込んでおいたほうがよいとの判断が作用していた。人前で公然と自分のイチモツを自慢するオヤジはケネディの洗練には及びもつかず、政権内では蚊帳の外、大統領の弟ロバート・F・ケネディ司法長官とは反目しあっていた。
そうしたなかでの思いもよらぬ昇格。南部出身の第三十六代大統領は公民権運動に理解のある政治家ではなかったが、大統領に就任したことで公民権法に反対を貫き通すか、賛成するかの選択を迫られる。政権の座にある者が、もともとの考えとは反対のことを実現させるのはよくある政治現象だ。ベトナム戦争終結させたのは第三十七代大統領、タカ派リチャード・ニクソンだった。
ジョンソン大統領を演じるのは「スリー・ビルボード」のウッディ・ハレルソン。公民権に反対だったオヤジが公民権法案成立の決意を披瀝する。そこにいたる後継職としての判断や変化の具合を巧みに演じている。
(十月七日新宿シネマカリテ)