『15時17分、パリ行き』

クリント・イーストウッド監督の新作「15時17分、パリ行き」をめずらしく同名の原作本を読んだあとで鑑賞した。
原作は、二0一五年八月二十一日、十五時十七分にアムステルダム駅を出発し、パリに向かっていた列車内で、武装したイスラム過激派の男が企てたテロを三人のアメリカ人の若者が未然に防ぎ、五百人を超す乗客を救った事件をめぐるノンフィクションで、執筆には当事者であるアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンの三人にジャーナリストのジェフリー・E・スターンがくわわっている。

三人のアメリカ人とテロリストがどういったいきさつから列車で鉢合わせしたか、偶然の糸が手繰り寄せる経過を主にしながら、各自の生い立ちやヨーロッパ旅行のようすが詳しく述べられていて、こちらのほうも興味深い。
幼なじみの三人がテロに遭遇したのには偶然の重なりがあった。パリは物価が高く、人々もつんとすましている感じがするので止そうと決めていたのに鉄道の切符をキャンセルする直前にやはり行こうとなった。経過をたどると不測の事態だったにもかかわらずテロリストとの衝突は不可避だったと思えてくる。これがフィクションであれば空々しい偶然の感じがするだろう。
本書の冒頭「偶然とは神が実名でサインしたくないときの別名かもしれない」というテオフィル・ゴーティエの言葉が引かれている。三人の少年期、はじめてのヨーロッパ旅行、テロリストとの遭遇の三つのパートが「神の別名」を軸として繋がれている。
いっぽう映画にはその軸がないぶんやや統一感を欠いたのは否めないが列車内の狭い空間での闘いと被弾した乗客への救命措置のシーンはさすがで、監督の力量が存分に発揮されている。また当事者の三人が自身を演じたことで(まったくの素人たちだが自然体でキャメラの前に立っているように映った)フランスのオランド大統領からレジオンドヌール勲章が授与されたシーンや帰国してのパレードの実写ビデオが上手く活かされている。
米国にも日本と同様いじめはあるが「やめろ!」と止めるリーダーがいる点で日本とは大きく異なるという議論を聞いたことがある。本当だろうか。そうだとして何を根拠としているのかはわからない。でもこの本の、そして映画の三人は身を以てそのことを示しているのではないか。