「April In Paris」

パリを旅したのはこれまで二度とも秋だった。素敵な季節にはちがいないけれど、ジャズのスタンダードナンバーに「パリの四月」があるものだから、四月のパリがついつい気になってしまう。
そこでは、マロニエの花咲く四月のパリ、思いもしなかった春の魔力、これほど暖かい抱擁があったなんてすべてはパリの四月を知ってから、わたしは誰の胸に飛び込んで行けばいいの、あなたはわたしの心に何をしたの、とファンタスティックなパリが歌われている。
一九三二年、ブロードウェイ・ミュージカル「もう少し速くおいで(Walk a Little Faster)」の挿入歌として世に出て以来ジャズの世界で愛され続けてきた「パリの四月」。ずばり曲名を冠したカウント・ベイシー・オーケストラのアルバムをはじめ「サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン」「エラ・アンド・ルイ」「ザ・マグニフィセント・サド・ジョーンズ」「バド・パウエル ジャズ・ジャイアンツ」などに収める名演はわたしの旅心を刺激する。
アーウィン・ショーは『パリ・スケッチブック』に「だれでも外国旅行から帰ってくると必ず、どこの都市はいつ行くのかが一ばんだ、と自分の気に入った時節をいうものだ。ローマならイースターのころ、ロンドンならば六月、ニューヨークは十月、ピッツバーグは朝の五時、という具合である」と書いている。(中西秀男訳、講談社文庫)
ならばパリは?
雑誌「ニューヨーカー」に数々の名篇を提供した作家に、それは何月なんて素直な答えを期待してはいけない。上の文章は「パリ見物は何といっても解放になった翌日の午後が一ばんでしたよ」と続く。

パリがドイツ軍の占領から解放されたのは一九四四年八月二十五日。この日、アーウィン・ショーは連合軍第四師団第十二連隊に所属する通信隊の一員としてはじめてパリを見た。天気はよく、晴着を着た女たちが街頭に繰り出して解放を祝っていた。市の周辺部の一部に爆撃を受けたところはあったものの中心部は無傷でセーヌ川に架かる橋も無事だった。
『パリ・スケッチブック』には、パリ防衛司令官のフォン・コルティッツがヒトラーの命令に反してパリの爆撃は避けられた、という噂もあったが、当り前の話で、このパリをだれが爆撃する気になれるものかというのがパリの人々の気持だったとあるが、パリっ子の気持とはちがって事態は複雑だった。
ヒトラーの最後の執念はパリの破壊で、パリ防衛司令官フォン・コルティッツ将軍は「パリを死守せよ。撤退するなら徹底的に破壊せよ!」と厳命されていた。
パリにはもうひとつドゴール派とコミュニストとの対立が翳を落としていて、ナチスに対するパリ一斉蜂起について両派が秘密に協議した席上、コミュニスト側は「パリが破壊されるからって、それがいったいどうだっていうんだ?われわれだってパリといっしょに滅びるんだ。もう一度一九四〇年の屈辱をなめるくらいなら、パリもワルシャワと同じ廃墟になったほうがいい」と言い放った。
ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエールによる古典的ノンフィクション『パリは燃えているか?』(志摩隆訳、ハヤカワ文庫NF)にあるエピソードだ。
コミュニストは観念性や国際主義にとらわれている度合が強くてパリが破壊される懸念は考慮の外になりやすかったのかもしれない。
フォン・コルティッツは、パリ抹殺という満足感を得るために、気まぐれな破壊に任すのは軍事上正当な行為とはいえないと考えてはいた。しかしかれは軍人であり、また命令に背けばベルリンにいる妻子は殺されるにちがいない。
「コルティッツは、長いあいだ沈黙したまま、身動き一つせず、枕に頭を埋めていたことを思い出す。四十八時間以来、夜となく、昼となく彼を悩ましつづけた恐ろしい矛盾、命令に背くかパリを破壊するかという矛盾が、いまや悲劇的な解決を迫ってきたのである」(『パリは燃えているか?』)
この矛盾の解決すなわち自軍を動かすことなく、パリのいまある姿を保つにはただひとつ連合国軍への名誉ある降伏しかない。連合国軍より先にナチスの援軍が来ると、コルティッツにしてもパリ破壊を命ずるほかない。こうした思いを連合国軍に伝えたのがパリ駐在スウェーデン総領事ラウル・ノルドリンクで、中立国の外交官として双方と接触しパリの防衛に努めたのだった。
なおパリ解放をめぐるコルティッツとノルドリンクの厳しい駆け引きを描いた映画に「パリよ、永遠に」(フォルカー・シュレンドルフ監督)がある。戯曲を基にした作品で、舞台と映画ともにおなじ役者が演じている。(フォン・コルティッツ将軍:ニエル・アレストリュブ、ノルドリンク総領事:アンドレ・デュソリエ
史実かどうかは知らないけれど、総領事が将軍に「破壊する将軍は多いが、何かを築ける者は少ない」と語るシーンがある。偶然にしてもパリ防衛司令官が「破壊する将軍」でなくてよかった。爆撃でやられていたとすれば「パリの四月」は苦い思い出が固着した曲となっていただろう。
*「パリの四月」
作詞:エドガー・イップ・ハーバーグ
作曲:ヴァーノン・デューク