『脇役本』

濱田研吾『脇役本』(ちくま文庫)は映画、テレビで知る懐かしいバイプレーヤーたちの本やエピソードを満載したエッセイ集だ。とりあげられているのは山形勲から吉田義夫までおよそ八十人のシブい役者たち。わたしには多くが写真を見なくても目次だけで顔が浮かぶ人たちであり、読むうちにあれこれの映画も思い出されてたのしいひとときだった。
文筆でも名を知られる芸能人としては徳川夢声古川緑波三國一朗中村伸郎加東大介といった人々がいるが、本書を読むとかれらの文業が氷山の一角であり、脇役たちの世界がどれほど広く、深いかがよくわかる。
女優の書いたパリ滞在記では高峰秀子『巴里ひとりある記』が有名だが、脇役陣では小津組の常連だった高橋豊子の『パリの並木路をゆく』がある。スペインに目を遣れば、岡本喜八作品や子供番組の悪役で知られた天本英世に『スペイン巡礼』『スペイン回想』がある。
戦前、文部省による法隆寺金堂壁画模写事業の四人の画家の一人に選ばれた入江波光の助手を務めた日本画家(吉田義夫)がいれば東京オリンピックでコーチの任にあった元競歩選手(細川俊夫)もいる。というふうに多士済済の脇役陣である。

知的な右翼の黒幕や冷酷なヤクザの親分が似合った佐々木孝丸のエピソードをひとつ紹介しておこう。
この人は、若き日、左翼演劇の闘士で、役者のほかに演出家、劇作家、小説家、翻訳家、編集者などさまざまな顔をもっていた。「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞(はらから) 暁は来ぬ」の「インターナショナル」の歌詞は佐々木と佐野碩との共訳によるものだった。あるとき映画のロケ先で歌ごえ運動の若者たちがこれを歌っていて、ロケ隊の若い裏方たちもくわわり、佐々木に「一緒に歌いませんか、歌詞は教えてあげますよ」と声をかけた。佐々木は挨拶に困り「いや、僕は・・・・・・」と言葉を濁してその場を立ち去った。
六十数篇のエッセイのなかでわけても印象に残ったものを二篇挙げておきたい。
ひとつは「ある老優の死 八代目市川團蔵」。「地味、暗い、陰湿、型どおり、華がない」といわれた歌舞伎役者とあるのを見ると、脇役を地で行ったような感がある八代目市川團蔵だった。
はじめ茂々太郎を名乗り、明治四十一年に九蔵、昭和十八年に團蔵を襲名した。
九蔵としての初舞台は明治四十一年二月の歌舞伎座公演、このとき権八を演じた九蔵を演劇評論家、井原青々園は「カツラが合わず、押出しが素人じみ、調子をはると、角力の行司めきます」と酷評した。團蔵となってのちに大化けしたという話はないから、調子をはると、角力の行司のようになるイメージはついて回ったと思われる。そのいっぽうで網野菊は下手な小説家と批評された自身を團蔵に重ね、その舞台によく足を運んだという。
梨園に生まれながら役者が好きでなく、それでも父七代目團蔵の厳しい稽古に耐え、修行を積んだが役者嫌いの心根は抜けず、團蔵を襲名したのも渋々だった。襲名とほぼ時をおなじくして父親についての評伝『七世市川團蔵』(濱田氏によると脇役本の名著の由)を求龍堂から上梓していて、戸板康二は「亡父や祖先の業績をあきらかにしようという以外に、舞台生活とちがった、俳優としてでない何かが、ほしかったからであろう」と述べている。
その役者が引退の日を迎えた。昭和四十一年歌舞伎座「四月興行 歌舞伎祭大合同―八代目市川團蔵舞台生活八十二年引退披露」で、これを務めあげた八十四歳の老優は四国八十八か所の巡礼の旅に出て、その帰途、昭和四十一年六月四日小豆島から大阪へ向かう連絡船から姿を消した。投身自殺で「我死なば香典うけず通夜もせず迷惑かけずさらば地獄へ」の狂歌が遺された。
入水の報は演劇界、文壇、ジャーナリズムに衝撃をあたえ網野菊戸板康二安藤鶴夫、尾崎宏次、利倉幸一、三島由紀夫永井龍男大佛次郎たちが老優の自死について所感を綴った。そこには「そう快、さわやかな死」「感動的な死に方」「團蔵の心に陰惨なものは微塵もなかった」「きれいには違いないが、きれい過ぎた」「歌舞伎界にとって、鉄槌」といった文言がある。
これら一群の作品を著者は「團蔵文学」というジャンルに括り、網野菊「一期一会」、戸板康二「団蔵入水」をその双璧とした。
もうひとつは「万太郎大山脈 中村伸郎龍岡晋宮口精二」。三人は文学座久保田万太郎から俳句の手ほどきをはじめ指導、薫陶を受けた。わたしがこれまで読んだことがあるのは中村伸郎だけだがひょうひょうとして、端正で、心あたたまるエッセイ集だった。機会があれば龍岡晋宮口精二の文業にも接してみたい。
龍岡晋については久保田万太郎がその句集に序文を寄せていて、現代の俳人で五人を選べばといわれてもにわかにはできないが「一人だつたらできる。/なぜなら/龍岡晋―/と、言下に、躊躇なくぼくにこたへられるだらうから・・・・・・」と書いている。ちなみに『久保田万太郎全集』の底本になったのは戦時に龍岡が守り抜いた久保田の著書だった。
「万太郎大山脈」に引用された「よび塩をしておく鱈や花の昼」「枝豆や死ぬ者貧乏生きて恥」の龍岡の二句に魅力を覚えた。花の昼のあとにはビールと酒そして枝豆の夕べ。「死ぬ者貧乏生きて恥」に人生の秋を感じる方は多くいらっしゃるのではないか。もちろんわたしもそのひとりだ。