「芸者ワルツ」

「四谷赤坂麹町チョロチョロ流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ち小便」はフーテンの寅さんの啖呵売として知られるが、明治末期から大正期にかけての公衆便所は男女ではなく大小の別でつくられていて、女性もときに朝顔便器に背を向けておしっこをしていて、この口上は絵空事でなかったことが井上章一の名著『パンツが見える。 羞恥心の現代史』(新潮文庫)に見えている。
トイレの事情は風呂にも通じていてかつては男女混浴の浴場、温泉がけっこうあって、そうなると便所と風呂は昔のほうが男女共同参画の度合が高かったようでもある。
羞恥心にも歴史がある。一九五0年(昭和二十五年)生まれのわたしは、女の立小便を見たことはないが、路面電車の車内でオッパイを出して授乳していた光景はおぼえがある。昭和三十年代はじめくらいまでは赤ちゃん用のお乳は外で出していたんですね。恋人やお父さんのためのお乳はだめですよ、念のため。
そういえばわたしは父方の祖母に背負われて、母の職場へ授乳に行っていたと聞いている。母は小学校の教師で、昭和二十年代の小学校に授乳室なんてなかったから、おそらく保健室で飲ましてもらっていたのだろう。まさかとは思うが路面電車の話から推測すれば、児童たちがあそぶ校庭の片隅で飲ましてもらっていた可能性が絶対なかったとは言い切れない。
話題を下のほうへ戻そう。
戦前のダンスホールにはけっこう陰毛が落ちていたそうだ。和服の女性客やダンサーが多くいて、ほとんどはズロースをはいていなかった。いまもパンティのラインが和服に現れる(「ひびく」というと『パンツが見える。』の酒井順子さんの解説で知った)のを避けて着用しない方はいらっしゃるだろう。つまり陰毛はズロースをはかない和装の女性からこぼれていたのである。

一九四九年に公開された映画「青い山脈」(今井正監督)では、芸者の梅太郎姐さん(木暮実千代)が沼田医師(竜崎一郎)の自転車に乗せてもらって、先生、しっかり運転してくださいね、あたしたち大和なでしこはパンツとかズロースははいていないんですからねと言っていた。下手して落っことされると裾が乱れて陰部が丸見えになってしまう。石坂洋次郎の原作には「しっかり頼みますよ。先生、私は大和なでしこの血をひいているんで、パンツだかズロースだか、あの窮屈なのが大きらいなんですからね」とある。
青い山脈」には女学校を退学させられそうになった寺沢新子(杉葉子)に島崎先生(原節子)が、いっしょに東京へ行きましょうか、あなたは背が高いくらいしかとりえがないからダンサーになればいいわ、と声をかける場面がある。洋装の女性が多くなり、梅太郎姐さんには叱られそうだけれど、ズロース、パンツをはいて和服を着る女性も増えていたからダンスホールの陰毛はずいぶんと少なくなっていただろう。
こうして『青い山脈』×『パンツが見える。』の視点に立つと、戦後民主主義の讃歌として評価の高い小説そして映画「青い山脈」は、パンツ、ズロースを着用する女性(島崎先生、寺沢新子)と着用しない女性(梅太郎)とがいっしょになって女学校の民主化のために闘った物語だったことがわかる。藤山一郎と奈良光江の歌った主題歌には「古い上着よ、さようなら、さびしい夢よ、さようなら」とあり、旧来の悪習に染まった古い上着と訣別する上半身の物語とは別に、着物、スカートのなかではパンツ、ズロースを受容するかどうかの物語が展開されていたのだった。
映画「青い山脈」から六年後の一九五五年、幸田文の小説『流れる』が刊行されている。没落しかかった芸者置屋に女中として住みこんだ四十すぎの未亡人梨花の目を通して、花柳界の風習や芸者たちの生態、華やかな生活の裏に流れる哀しみを詩情豊かに描いた名品で、成瀬巳喜男監督の名作としても知られる。
この小説に「若い娘らしく薄桃色のパンティが股を刳りぬいている」なな子という芸者がいて、作者は「薄桃色のパンティ」で花柳界の凋落をそれとなく示した。梅太郎の嘆きは想像するに余りあるが芸者がパンティをはく時代がやって来ていたのだった。

ここで『青い山脈』×『パンツが見える。』×「流れる」という枠組みを設定してみると、おのずと浮かんでくる歌がある。一九五二年、神楽坂はん子が歌ってヒットした「芸者ワルツ」である。この年は映画「青い山脈」と小説「流れる」の中間にあたっていて、花柳界にも「薄桃色のパンティ」の時代の波が押し寄せようとしていた。
そうしたなかで気になるのは「あなたのリードで島田も揺れる チークダンスの悩ましさ」、そのお座敷でのチークダンスで「乱れる裾もはずかしうれし」となる芸者の乱れた裾の内だ。
すでに戦前、男の欲望の視線は、娼婦、芸妓からカフエの女給やダンスホールのダンサーへと重点を移しており、戦後、この趨勢は決定的なものとなった。洋装の普及、花柳界の衰退は梅太郎姐さんを伝統保存の域へと追いやったのである。
この時期に大ヒットしたのが「芸者ワルツ」だった。それは、「恋に重たい舞扇」や「遠く泣いてる新内流し」というアイテムから窺われるように、新しい時代をよろこんで迎える「青い山脈」とは対照的に、かつての花柳界を悼み、見送る歌だった。とすれば乱れる裾のなかはあらためて言うまでもなく、「芸者ワルツ」が「パンツだかズロースだか、あの窮屈なのが大きらいな」大和なでしこへの挽歌だったことはあきらかだろう。

*芸者ワルツ
作詞 西条八十
作曲 古賀政男