数々の名演、貴重なフォトとフィルム、肉親また親交のあった人々の証言でたどるビル・エヴァンス(1929-1980)の生涯を描いたドキュメンタリーであり、生誕九十年を機に公開された「ジャズピアノの詩人」の墓標ともいうべき映画です。
ビル・エヴァンスの演奏風景を見られるなんて思ってもいなかったし、とりわけ「ワルツ・フォー・デビイ」を演奏する姿を捉えた映像は、わたしにはまさしく「事件」でした。
なかでジャック・ディジョネット、チャック・イスラエルズ、ジョン・ヘンドリックス、トニー・ベネットといった同時代に活躍した多くのジャズマンがエヴァンスについて語っていますが、ブルース・スピーゲル監督のもと製作にかけた八年のあいだにはインタビューに応じたポール・モチアン、ジム・ホール、ボブ・ブルックマイヤー、ビリー・テイラーたちが亡くなっており、かれらの晩年の映像も貴重な記録となっています。
ジャズの好きなわたしには至福のときでしたが、いっぽうで五十一年のその生涯は麻薬禍、ベーシストに迎えたスコット・ラファロの交通事故による夭折、エヴァンスの男女関係のもつれに起因する内縁の妻の、また最愛の兄の統合失調症による自死といった数々の悲劇にみまわれていたことで切なくもありました。
かれの人生の転換点となったのはやはり一九六一年のスコット・ラファロの二十五歳の若さでの死であったように思います。このときエヴァンスは三十一歳でした。歿後「時間をかけた自殺」といわれたエヴァンスの人生を振り返ると、死の影と深い喪失感が蔽うようになるのはこのころでした。そして麻薬がかれの心身をむしばんでゆきました。一九八0年九月十五日、五十一歳で死去。長年の飲酒と薬物摂取、かたくなに療養と治療を拒み続けたはての急逝でした。
そうした生涯のなかで、「美と真実だけを追求し、他は忘れろ」と語ったピアニスト、作曲家の音楽はファンを魅了し続け、多くのミュージシャンの尊敬を得て、いまなお多大の影響をもたらしています。
ビル・エヴァンスを知って四十年以上になるけれど、主に聴いたのはスコット・ラファロ、ポール・モチアンとのトリオの時代の演奏、「ワルツ・フォー・デビイ」「ポートレイト・イン・ジャズ」「サンデー・アット・ヴィレッジ・バンガード」「エクスプロレーションズ」のアルバムでした。ジャケットの写真でいえばスーツにネクタイの端整な姿のころで、後期の髭を伸ばした時期はあまりなじみがありません。
映画のラストで、リーダーアルバムだけでも六十枚を数えます、ぜひ手にとってみてください、とテロップが流れます。お言葉に従います。もっともっとビル・エヴァンスとジャズを知るために。
(五月三日アップリンク渋谷)