季語あれこれ〜『俳句世がたり』余話

小沢信男『俳句世がたり』を読んでいて幾度となく季語についての知見に興味をおぼえた。
たとえば夜学。夜間の定時制高校に勤務したことのある身なのにわたしは本書を読むまでこれが秋の季語と知らなかった。「夜学校は一年中のことながら、とりわけ勉学の灯火に親しむ夜長の時節ゆえ」なんですって。
夜学の縁語である落第はもちろん春。「落第や吹かせておけよハーモニカ」(変哲)。変哲は小沢昭一さんの俳号。
遍路も春の季語で「そもそもは修行で季節を問わぬが、行楽的要素が増せばやはり春か」と信男の小沢さんは書いている。
春といえばちかごろよく二度寝をする。「春眠のつゞきの如き一日かな」(高木晴子)とおなじで二度寝をした日はみょうにうれしく、ちょっとしたしあわせの気分。手許の歳時記で二度寝をみたところ立項はなかったけれど、春の季語としてよいような気がする。
『今はじめる人のための俳句歳時記』(角川文庫)の春眠の説明に「朝寝は寝足りてなお床を離れずうつらうつらしている状態をいう。そこで見る夢が、春の夢」とあり、朝寝を春の季語とするのは「春眠暁を覚えず」を引くまでもなく実感としてよくわかる。ふるさと高知でむかし朝のニュース担当だったアナウンサーが三回だったか寝坊して番組に遅れてとうとう免職処分となり、裁判でようやくクビがつながったという出来事があり、いずれも春の季節の寝坊だったと記憶する。
ならば昼寝は?
これが夏の季語。植物や祭事にたいして生活のなかのあれこれはむつかしい。
「朝寝して寝返りうてば昼寝かな」(風天)。風天は寅さん、渥美清の俳号。
独断ながら時事句として原発と想定外を詠むとすれば春の季語とならざるをえない。ふたつともに三月十一日を離れて他の季節へは行けない。
ちなみに小沢さんは想定外という言い回しについて「こんな大津波がきて、こんなにもろく原子力発電所がぶっ壊れるとは、だれしも思いのほかだ。というのだが、この地震列島でなんと横着な。『見込みの甘い手抜きでした』とすなおにいうと切腹ものにつき、漢字でひらきなおったのでしょう」と述べている。