大寒から雨水へ

月二十日。大寒

「受験用写真の不思議な顔寒し」

今井聖のこの句で、先日実施された大学入学共通テストの受験票の写真はマスクなしだっただろう、しかし当日はマスクをしなければならなかったから本人確認はどうやっておこなったのかと首を傾げた。お節介なことではあるけれど。

一九七九年にはじまった大学共通第一次学力試験は一九八九年までおこなわれ、次いで一九九0年から二0二0年までが大学入試センター試験、そしてことしから大学入学共通テスト、いずれも寒の入のあとで実施されているが歳時記では入学試験を春に分類している。

大寒にふさわしいものに火鉢がある。生まれてから小学五年生まで住んだ家に火鉢はあったが転居した家にはなく、なつかしいものとなった。

永井荷風は「矢はずぐさ」に「寔(まこと)に初冬の朝初めて火鉢見るほど、何ともつかず思出多き心地するものはなし。わが友江戸庵が句に『冬来るやまたなつかしき古火鉢』これ聊かも巧む所なくして然も其の意を盡したる名吟ならずや」と書いている。

江戸庵は俳壇に重きをなすとともに籾山書店を経営した 籾山梓月の俳号。

「春寒や机の下の置炬燵」「江戸庵句集」より。

荷風が「三田文学」を創刊したときは籾山書店 が販売を引き受けるなど両者の関係は深く、荷風は 梓月の画帳に丸火鉢の絵を描き「折りかゞむ背中もやがて丸火鉢/かどのとれたる老を待つかな」と寄せている。

わたしが荷風から教えられた美を樹木草花を別にして列挙すると、火鉢、障子、路地、物干台、侘住居、簾などがあり、さながら小津安二郎の映画のようである。

おなじく「矢はずぐさ」に「誰か鮪の刺身を赤き九谷の皿に盛り新漬の香物を蒔絵の椀に盛るものあらんや」とあり、荷風は九谷の皿、蒔絵の椀の絢爛華麗のみを美とする風潮に敢然異を唱えた。また「毎月見聞録」大正六年五月十五日の記事に「箒庵主人公の談にいふ今の買手は好事家にあらずして成金なれば、一方には一品十万円を超ゆる高値をも出し、他方には梁楷の寒山拾得といへるが如き雅致あるものよりも元信の大滝の如き花やかなるもの却て売行よろしきなりと」と書いた。いうまでもなくこれは、「裏町を行かう、横道を歩まう」(『日和下駄』)と裏町、横町の魅力を讃えた態度に通じている。

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二月一日。深夜まで銀座のクラブなどで興じていた三人の自民党議員が離党した。これに先立って二階幹事長は離党勧告を、また菅首相は遺憾だと陳謝した。昨年末に首相、幹事長らがガイドラインを上回る人数で銀座のステーキ店で飲み会をしていたことを思えば、目くそ鼻くそを嗤うの典型的事例で、あのときは「一律に禁じたものではない」と擁護した大臣がいたが今回はそうした声はなかった。

よい機会だから目くそ鼻くその英語表現をみると「The pot calling the kettle black」(鍋がやかんを黒いと言う)があった。中国語をみると「烏鴉笑猪黒」(カラスが黒豚を笑う)や「秃子笑和尚」(ハゲが和尚を笑う)などがあった。比較してわが日本の、目くそ鼻くそは秀逸である。

わたしは外出自粛を苦にしていないから、議員の先生方が深夜のクラブで飲み戯れていてもお前たちだけがどうして、といった気にはならないけれど、立法府の人さえ守ろうとしないルールや緊急事態宣言は止してはどうかという気にはなる。

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転勤や子供の成長、単身赴任を含め何度か転居した。そしていま住む家を終の棲家と思い定めている。高齢者用施設でお世話になることのないよう願いながら。

この地に生まれ育った者ではなく、お世話してくださる方がいて、東京でいちばんお気に入りの地域に住めているのはかけがえのないしあわせである。そのお世話してくださった方が昨年末八十六歳で亡くなり、あらためて感謝するとともにご冥福をお祈りした。

五十代半ばで購入し、ローンは組まなかったから貯金はほぼ底をつきスッカラカンとなった。不安ではあったが退職までを考えるとギリギリの選択だった。

緊急事態宣言のもと、狭いながらも楽しいわが家で外出自粛に努めている。

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ジョン・グリシャムグレート・ギャツビーを追え』(村上春樹訳)を机に置き、さあ、とりかかろうとしたところ、F・スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』をまだ読んでいなくて、こういう機会じゃないとご縁がないままになるかもしれないと、計画変更しておなじく村上訳の同書を手にして二日で一気読みし、ついでロバート・レッドフォードレオナルド・ディカプリオが主演した新旧の「華麗なるギャツビー」を再見し、物語とともに狂乱の二十年代のムードを堪能した。

ギャツビーの切ない恋心。彼とニックの友情はレイモンド・チャンドラー『長いお別れ』を想起させる。丸谷才一フィリップ・マーロウは女性にたいするときよりも男性にたいするときはるかに優しい、男性に対する友情の深さを指摘していて、『グレート・ギャツビー』の語り手であるニックにもおなじことを感じた。

ちなみに村上氏は人生でめぐり会った重要な本として本書、『長いお別れ』、『カラマーゾフの兄弟』を挙げている。

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永井荷風の東京散策記『日和下駄』に、お稲荷さまに油揚げを奉納するといった民間信仰を扱った「淫祠」という一章があり、なかで紹介されている「こんにゃく閻魔」と「ほうろく地蔵」を廻った。

前者は小石川の源覚寺にあり、眼病治癒の閻魔さまとして知られる。目を治してもらった婆さんがこんにゃくが好きで閻魔さまに好物を捧げたのがはじまりだとか。

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後者は本駒込大圓寺にあり八百屋お七を供養するためのお地蔵さま。お七のために熱したほうろく(浅い素焼きの土鍋)をかぶって焦熱の苦しみを受けているお地蔵さまは首から上の病気平癒に霊験ありといわれたくさんのほうろくが捧げられている。

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なお同寺には幕末の砲術家高島秋帆、「筆は一本なり、箸は二本なり。衆寡敵せずと知るべし」の斎藤緑雨のお墓があり、墓前で手を合わせた。

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グレート・ギャツビー』のあとジョン・グリシャムグレート・ギャツビーを追え』(村上春樹訳)をこちらも一気読みした。二0二一年はじめてのミステリーだ。

作者は弁護士経験を活かしたリーガル・サスペンスの諸作品で知られており、わたしもいくつか読んでいるが法廷もの以外の作品は本書がはじめてだった。

プリンストン大学に厳重保存されているスコット・フィッツジェラルドの長篇小説五作の原稿が盗難に遭い、まもなく犯人グループの一部は逮捕されたが原稿と首謀者は忽然と消えた。原稿を追うのはFBI、貴重盗難物の追跡返還を業務とする企業。ターゲットはカミノ島で独立系書店を営むブルース・ケーブル。

お宝追跡の企業は島の出身でスランプにある女性作家マーサー・マンを雇い、店主を探らせ、読者は犯罪の追及ともうひとつ店主と作家の関係の行方を追って頁を繰ることになる。

訳者の村上春樹氏はポーランドを旅行中クラクフの書店で目にした『CAMINO ISLAND』の裏表紙にある要約でスコット・フィッツジェラルドの原稿を素材とする作品と知ったそうだ。『グレート・ギャツビー』の訳者として興味津々だったはずだが原題から『グレート・ギャツビー』が関係しているなんて想像もつかなかっただろう。教訓、本の帯(腰巻)や内容要約をおろそかにしてはいけない。

訳者あとがきに村上氏は「この本はミステリー・ファンにも、本好きの人たちにも、また本格的なブック・コレクターの人たちにもたっぷり楽しんでいただけるのではないかと思う」「結局のところ人生なんて、時間をどのように無駄に費やしていくかという過程の集積に過ぎないのだから」と書いている。その過程にはお楽しみがたくさんあってほしいものだ。

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二月十三日。10キロヴァーチャルマラソンに参加し、結果は57:41、456/912だった。偶然ながらちょうど真ん中というのはめずらしい。五時~八時営業の行きつけのお店でたった一人の慰労会と家飲みのあと、心地よい疲れと、美味しい料理と酒で爆睡し、二十三時七分頃福島県沖を震源として発生したマグニチュード7.3の地震を朝になって知った。四字熟語で申せば羽化登仙しているうちに遺憾千万なことが起こっていたのだった。

ラソンといえば藤井聡太二冠が聖火ランナーを辞退した。関係者によると、五輪が延期になり先の見通しも立たないことが理由で、大会組織委員会森喜朗会長の発言とは関係がないとのことだ。

盤上ではどれほど先を読んでいるのだろう。その藤井二冠に「先の見通しも立たない」といわれた相手に指手はないな、と思わずにやりとした。

ついでながら問題となった森会長の会議での挨拶、ふつうは事務方が原稿を作ってあると承知しているが、そうしても現場では読まずに自分で喋る方はいるから森氏もそうされたのだろうか。だとすれば、原稿を棒読みする首相、原稿作っても関係なく持論を口にして失脚した会長の好一対である。

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二月十五日。家にいて雨がいつ止んだかわからなかったが午後五時ごろ外に出て弥生坂を上がっているうち雨上がりのさわやかな空気につつまれた。わたしはお目にかかれなかったが虹が出て、くっきりとした虹の外側には色の並びが反対の虹(副虹)がみられたそうだ。俳句では春を虹のはじまりとする。ことしの初虹だったか。

永井荷風は明治政府の顕官となった九州の元足軽風情が東京をいじくって困るとか、どこかしこに銅像を建てて美観を損ねるとかよく文句を書きつけているが、ときに雨上がりの空に虹の懸かるのをみて「住み憂き土地にはあれどわれ時折東京をよしと思ふは偶然かかる佳景に接する事あるがためなり」と「夕立」という随筆にしるしている。

雨上がりは雨が町の塵を流し、冷爽な空気をもたらし、心の塵も流してくれた気がする。

「激しい夕立がすべてを洗い尽くしてやんだ後、雲間から洩れる光の中に忽然と浮び出る七彩の弧──虹の立つところに野も山も海も目覚めるばかり鮮やかな景となる」。現実は苦しくても虹は「瞬間的にもせよ美しいロマンの花」である。(水原秋櫻子『俳句歳時記 )。地震被災地にも虹の出てあれかし。

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二月十八日。きょうは大寒か、と書いたのはつい昨日のような気がしていたらはや雨水を迎えた。大雪で大わらわの地方については承知しているが、歳時記のうえでは、草木が芽生えるころ、空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる日である。二十四節気のつぎは冬籠の虫が這い出る啓蟄でことしは三月五日。春を待ちつつ、大雪と感染状況の好転を願っている。

東京オリンピックパラリンピック大会組織委員会会長に橋本聖子氏が就任した。その前段では小池都知事がバッハ会長、森会長、橋本大臣との会議はポジティブなメッセージは発出できないので欠席するとブチ上げた。

感染症対策での評価は見極めがつかないけれど騒動を起こして人目を引くのは上手だなあ。騒動師としての資質をお持ちなんだろう。

森喜朗前会長については、あれほどの差別発言やらかしてなお自民党内では余人をもって代えがたいと、続投を希望する声が大きかったと聞くけれど、お家柄や血統の問題じゃあるまいし新陳代謝は世のならい、海千山千のふるつわものはいくらでもいる。橋本新会長、大丈夫だ。

退職して念願の無職渡世に就いた?際はかたじけなくも周囲の再就職をめぐる光景を眺めていた。すると下取りの効くのと、そうでもないのがよくわかる。仕事がよくできるから下取りが効くとは限らない。下手にポストが上だと煙たがられる傾向もある。

前会長はどこかが下取りするのかしら?

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「物美なれば其虫いよいよ醜く事利あれば此に伴ふの害いよいよ大なり。聖代武を尚べば官に苛酷の吏を出し文を尚べば家に放蕩の児を生ず倶に免れがたし」(永井荷風「偏奇館漫録」)。

「事利あれば此に伴ふの害いよいよ大」にオリンピック・パラリンピックを思う。いよいよ大なる害をともなう利は真の利ではなく「予め害を除くの道を知らずんばいかでか真の利を得んや」なのだ。

「吏は役に立たぬものなり慾の深いものなり賄賂を取りたがるものなり。責むるは野暮なり。いくら取替へても同じことなり」。

遅船庵、驥尾に付して曰く「吏は都合の悪いことはすぐ忘れたと云ふものなり」「総理大臣の嫁、官房長官の息子に弱いものなり。会食で奢られた見返りに便宜を供与するものなり」

宰相に清廉なるは少なしとは昔からいわれたことながら、安倍、菅とひどい状況が続く。絶対多数の与党のもとで悪事が横行しているのだから処方箋は与野党勢力拮抗の状況を作り出すことにあるが、いまの野党のありようでは望みは薄い。この世は煩悩にまみれた世界とはいえど無宗教のわたしは厭離穢土、この穢れた国土を厭い離れるというわけにはまいらない。やれやれ。

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NHKBSPで放送のあった「花のあと」をみた。藤沢周平原作の映画は抜かりなくみてきたつもりだったがこの作品は知らなかった。そしてこれまでの映画とおなじく満足だった。なかでヒロイン(北川景子)の許婚役の甲本雅裕がのちに昼行灯といわれながら筆頭家老を務める、その若き日の役がいかにもという感じで味よし。

藤沢作品を多く読んだのは四十代だった。全集を買い揃えようかとまで思ったが他にも読みたい本は多くそこまでは進めなかった。とにかく手に取る本いずれも当たり外れがなく、そのことは映画にも及んでいる。

藤沢作品を原作とした映画で最初にみたのは「たそがれ清兵衛」だったと記憶する。原作に、お勤めが終わるとそそくさと下城する清兵衛を問題視する上役陣のなかで、いたずらに城に残るのがよいとは思わぬ、清兵衛のような者がいるのもよいではないかと擁護する上役もいたとあり、荻生徂徠が『政談』で、用事もないのにあるような素振りをみせてだらだらと城に残る上役陣を批判していて、海坂藩の清兵衛をかばった上役は徂徠学派の方だったと徂徠ファンのわたしは確信した。