寺田寅彦の観察力

ボブ・ディランという人がどれほど偉いのか知らないが、これまでのノーベル賞をめぐる対応を見ていると全然釈然としない。メダルは受けたというがどうして人並みに授賞式に出なかったのか理解できない。受賞条件である講演や公演を誠実に果たすのかも疑問である。こういう人物を選んだ側も理解不能だ。
ボブ・ディランが崇められているのは米国の世間常識や権威を嗤い飛ばしたところにある。それをノーベル賞という別の権威が選定して問題が出来した。どっちもどっちである。今回の騒動を見ているとディランが、賞の権威に魅せられながら、そうは見られたくない人物であるとしかおもえない。
ノーベル賞は頂戴したいが、権威に屈するのを潔しとしないのをウリにしてきたから素直には受けられない、そんな気持が透けて見える。受賞のことを自身のホームページに載せたり削ったり、小細工に忙しいことで、賞を頂戴するならありがたく、素直にいただけと言いたい。
         □
きょう四月八日は釈迦の誕生したと伝えられる花祭。寺々では誕生を祝う法会(仏生会)が行われる。中国暦のこの日をいまの暦に置き換えると日付は異なるが、むつかしいこといわず桜の季節に執り行うのがよろしい。
加藤郁乎『江戸俳諧歳時記』にかつての仏生会の光景がある。『東都遊覧年中行事』から引かれたもので「諸人、門戸へ卯の花を挿す、ぺんぺん草を行灯にかけて虫除とし、又蛇除けのうたを厠へ貼る」とある。歌は「千はやふる卯月八日は吉日よかみさけ虫を成敗ぞする」。
「かみさけ虫」についてはいろいろな説があるが、ここでは蛇と解しておこう。
「灌仏や此日生るる馬鹿もあり」(吏登)
昔はお釈迦様とおなじ誕生日というのはからかわれやすかったのかもしれない。
「ぬかづけばわれも善女や仏生会」(杉田久女)
この著名な俳人は生前句集の刊行が叶わなかったと今回はじめて知った。
「みづうみのこまかきひかり仏生会」(鷲谷七菜子
繊細な光が湖に映える春の情景がうれしい。
         □
大沢在昌新宿鮫』シリーズは一九九0年にはじまる。それからニ、三作読んだ覚えはあるが、いつのまにかすっかりご無沙汰していた。ところがAmazonKindleにこれまでの長篇十作品がお安い価格で電子化されているのを知り、よーし、この際はじめから取りかかってみようと、現在四作目を読み進めている。
出版業界は本が売れないと嘆くまえに、以前の刊行物をもっともっと電子化して安価に提供する試みをしてはどうだろう。わたしのなかで『新宿鮫』が復活したとおなじ事例がたくさん生まれるのではないか。
新宿鮫』シリーズはいずれもおもしろく、電子本だからこう言ってはなんだがグイッグイッと頁を繰っている。なかでも第四作『無間人形』は力が入るぞ。ただしスマホはなく、ケータイもさほど普及していない点が古めかしいのはやむをえない。娯楽映画や小説にあっては電話、通信技術がいちばん時代を感じさせるようになってきている。
先日BSの民放番組で美空ひばりの特集があり、なかで歌っていた「残俠子守唄」に「北の風吹きゃ北を向き、西の風吹きゃ西を向く、男の意地はどこにある」という一節があり鮫島警部に連想が行った。
ついでながらわたしはこれからのエネルギー政策は原発を漸減し代替エネルギーに重点を置くべきだとおもう。その賛否はともかくすくなくとも「北の風吹きゃ北を向き、西の風吹きゃ西を向く」、原発推進の政党や電力会社が、あっち向けといえばあっち向くではろくなことにはならない。
それはともかくとしてレイモンド・チャンドラー『プレイバック』ではフィリップ・マーロウエスメラルダという町の警察署長に「私は節を曲げない。たとえ相手が良心的な警官であったとしてもね」と語り、また「私は早くロサンゼルスに戻りたいんだ。誰かがまたケチな仕事を持ち込んでくるかもしれない。私も生きていかなくちゃならない。違うか?」「握手をしてくれないか」「だめだ。君は殺し屋を雇った。私はそういうクラスの人間とは握手をしないことにしている」といった会話を交わす。(村上春樹訳)
ハード、タフいずれも節を曲げないと同義でありそれは志、矜恃に通ずる。「新宿鮫」とフィリップ・マーロウの魅力の素であるが、マーロウには例外があるのはご承知の通りで、かれと、チャンドラーの未完の遺稿『プードル・スプリングス物語』で結婚したリンダ・ローリングとのあいだにはこんなやりとりがある。
「私はあなたに節をまもってきたわよ。どうしてだかはわからないけれど。世界は男で溢れているっていうのに、あなたの他には目もくれなかった」
「私の方は節をまもっていたとは言えないよ、リンダ」
「私はあなたに、あなたのことを愛しているって言いたかっただけよ」。
マーロウは禁欲よりもしっかりとやさしく尽くすことを重んじた独身男だったが、これほどの男だから結婚してからの節はあらためて言うまでもないだろう。
         □
「ゆく年や坂一つなき中央区
小沢信男『俳句世がたり』に採りあげられた真砂女の句。なるほど日本橋、京橋、銀座などなど中央区は平坦地が続いている。隣接する台東区や港区は坂が多く、山の手と下町の続き具合が面白い東京の地形だ。わたしの生活する文京区は坂が多く、すぐ近くには弥生坂がある。不忍通りを隔てた側にはご近所で一番好きな三浦坂がある。文京区と台東区の境目で台東区に属している。
『御府内備考』には「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す」。三浦家下屋敷前の坂道だったので、三浦坂と呼ばれたわけだ。また中坂の別称は三先坂と善光寺坂のあいだにあるのにちなむ。
中央区とは反対に坂の多いのはいわゆる谷根千の魅力のひとつだろう。
なお1968年公開の羽仁進監督「初恋・地獄篇」は三浦坂をふくめそのころの上野界隈の姿が撮られていていまとなってはじつに貴重だ。

         □
「同じ景色を見るにしても、ただ美しいなと思うだけではじきに飽きてしまうでしょうが、心の目のよくきく人ならば、いくらでも目新しいことを見つけ出すから、決して退屈することはないでしょう。それで観察力の弱い人は、言わば一生を退屈して暮らすようなものかもしれません」。寺田寅彦「夏の小半日」より。
つづいて寅彦は自身の観察体験を挙げる。
「波が浜へ打ち上げてから次の波が来るまでの時間は時によっていろいろですが、私が相州の海岸で計ったのでは、波の弱い時で四五秒ぐらい、大波の時で十四五秒ぐらいでした。とにかく、波の高い時ほどこの時間が長くなります」。
こうして観察のおもしろさから魅力の疑問を引き出し、優れた観察者のノートは読む者の自然現象への興味関心を高める。

高校生のとき政治経済、日本史、世界史といった文系科目が好きで得意で、文系へ進学した。人間社会の観察はおもしろく興味は尽きない。ただ心躍るような疑問を引き出す力とそれを解く力には遠く及ばなかった。言わずもがなのことはさておき寅彦の魅力のひとつにこの人の観察力があり、視線は専門の自然科学はもとより社会事象にも及ぶ。その随筆には優れた社会観察ノートの一面がありかつての世相、社会のありようが知れる。
観察は知識への第一歩であり、知識の集積は生き方につながる。朝雨が降ってなくても傘を持つかどうかは観察に基づく。天気予報とおなじく明日をどう生きるかについても社会の観察と予報は欠かせない。
         □
ファシストはアルプスを愛し、リベラリストはラインやエルベの川の景色を、マルキシストはツンドラや砂漠の景色を好むかもしれない。松やもっこくやの庭木を愛するのがファシストならば、蔦やフジやまた朝貌、烏瓜のような蔓草を愛するのがリベラリストかもしれない。しかし草木を愛する限りの人でマルキシストになれる人があろうとは思われない」。
寺田寅彦「KからQまで」が発表されたのは昭和八年。ファシズムマルキシズムリベラリズム三者が対抗する当時の思想界の見取図である。ただしマルキシストが秋霜烈日の景色を好むのはともかく、ファシストリベラリストと景色の感覚は面白い見立てではあってもよくわからない。あるいは風土論が関係しているのだろうか。
そしていま生き残ったリベラリズム的言説にトランプ大統領からの大波が押し寄せて来ている。ひとつの波からつぎの波までの間隔はいまは短いが、これから先どうなるのか、またトランプ氏がどのような景色、樹木、草花を好んでおられるのか興味深い。
         □
ギリシャ旅行でアテネパナシナイコスタジアムを訪れた。一八九六年の第一回近代オリンピックのスタジアムであり、先年野口みずき選手が金メダルのゴールをしたところでもある。古代オリンピックにならいトラックの一周は330メートル、直線が極端に長く、コーナーはヘアピンカーブ、スタンドは総大理石づくりとなっている。
ここへ来て老骨も一層走りのファイトが湧いて来たのはけっこうだが、旅の記憶と記録を整理しておこうと書いているブログの記事が昨年はおろか一昨年の台湾旅行の記事さえまだ載せていない。旅の足に書く手が追いつかない現状を早く改善しなくては。