あんぱんの春

三好達治に「あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ」という句があるのを小沢信男『俳句世がたり』で知った。
あんぱんという季語について、本ブログ二0一三年四月十八日「あんパン」でわたしは「新しい年度を迎えたのを機に歳時記を見てみようと坪内稔典『季語集』を開くと、春の部、生活・行事の項にあんパンが収められてあった。著者の創見なのか、それとも句作の世界ではいつからかそういうことになっていたのかは知らない」と書いているが達治の句で後者と判断した。

あんぱんは明治七年に木村屋の創業者木村安兵衛とその次男の木村英三郎が考案し、売り出したとされる。父子は翌明治八年四月四日に天皇皇后両陛下が向島にある水戸藩下屋敷でお花見をする際のお茶菓子として献上し、やがてこの日があんぱんの日となった。
お出ししたのは吉野山から八重桜の花びらの塩漬けを取り寄せて埋め込んだ「桜あんぱん」で両陛下から「引き続き納めるように」とのお言葉を頂戴したと木村屋のホームページにある。あんぱんが春の季語となったのにはこうした背景があったのかもしれない。
小津安二郎監督「麦秋」にあんぱんのエピソードがある。妻と死別した息子の謙吉の再婚話を母親のたみ(杉村春子)がじぶんの夢として、謙吉の友人にして同僚の妹である紀子(原節子)に、息子の嫁に来てくれたらどんなにかうれしいと言ったところ、紀子は「ほんと?小母さん。あたしみたいな売れ残りでいい?」と思いもよらない返事を口にする。
「ものは言ってみるもんねえ」「よかったよかった」とよろこぶたみが突然「紀子さん、パン食べない?あんぱん」と言い出す。ジャムパンでもメロンパンでもサンドイッチでもよいみたいだが笑いとよろこびの度合であんぱんに軍配が上がるような気がして、やはり春だなとおもう。
なお『季語集』の著者は、ほぼ毎朝あんぱんを一個か二個食べて二十年にわたるという。同書は二00六年の刊行だから、いまでは三十年以上になる。このあんぱん通によれば味覚の点でも春がよく「私にとってあんパンは主食と言ってもよいだろう。いつ食べてもうまいが、桜の時期にはことに美味という感じがする。春の気温や空気があんパンをしっとりさせるからだろうか」と書いている。
ここまでおだやかな筆致で書いてきたが、野暮を承知で以下すこし荒れる。
YouTubeにある鈴木章治とリズムエースによるジャズバージョン「鈴懸の径」のコメントのなかに、ある方が、気障で鼻持ちならない、いわゆるスノッブな人から、日本のジャズなんてほんとのジャズファンが耳にするものではないとそのむかし馬鹿にされたことがあり、だったらカツ丼もラーメンも喰うなよと書いていた。「鈴懸の径」をこよなく愛する者としては尻馬に乗って言わずにいられない、あんパンも喰うな。
ことしのお花見は上野公園の桜の下であんぱんを食べよう。