猫の恋、亀の声

桜の開花が待たれるころ猫は恋の季節を迎える。猫が交尾する時期は年に四回あるそうだが、いちばん盛んなのは早春で、発情した雄は昼夜を問わず鳴き声もかまびすしく雌を追い求め、雄どうしの争いの激しいばあいは武闘が起こる。こうして「猫の恋」は春の季語である。
山本健吉『基本季語五百選』(講談社学術文庫)「猫の恋」の項に「妻恋ふ鹿」が和歌の題、「猿の恋」が詩の題、「猫の恋」が俳諧の題と、それぞれのジャンルの特質が指摘されている。猫の生態は王朝和歌の美意識とは関係しない、というかその制約から解き放たれたところに見出されたもので、俳人の視線がこの卑近な事象を俳諧の題としたのだった。
「麦めしにやつるる恋か猫の妻」(芭蕉
「巡礼の宿とる軒や猫の恋」(蕪村)
猫の恋」は多くの季語とおなじく日常生活の観察にもとづいているが、なかには空想の季題もあり、おなじ春の季語である「亀鳴く」もその一つに数えられる。「亀が鳴くことはないが、春になると亀も雄が雌を慕って鳴くとする空想の季題」(『今はじめる人のための俳句歳時記』角川文庫)で、猫が交尾をすれば、亀も雌を追いかける春である。
寺田寅彦『柿の種』(岩波文庫)に、根津権現(写真)に数人の大学生がいて、夜がふけてあたりが静かになったころ、ふくろうの鳴くのが聞こえたときのやりとりがある。
「ふくろうが鳴くね」
「なに、ありゃふくろうじゃない、すっぽんだろう」
「だって、君、すっぽんが鳴くのかい」
「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」。
はじめこれを聞いて笑った寅彦だったが、やがて思い直す。「過去と未来を通じて、すっぽんがふくろうのように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、少なくも、その日その晩の根津権現内では、たしかにすっぽんが鳴いたのである」と。
「亀鳴くを鬱(ふさ)ぎの虫の聞き知れり」(相生垣瓜人)
亀の鳴くのを聞いて鬱ぎの虫にも恋の春がやって来たようだ。