大雪の日に

今春からスポーツ庁が、勤労者のスポーツ活動への参加を促し国民の健康増進を図る「FUN+WALK PROJECT」をスタートさせる。その第一弾となるのが、スニーカー通勤のような歩きやすい服装を推奨するキャンペーンで、ねらいは、運動不足を感じている人の多い現状の改善、歩く習慣を自然と身につけることにある。ありがたい反面、お上のお墨付きがないと運動もできないのかと歯痒い気もする。
「秋晴の週末を待つスニーカー」(高浜礼子)。
スポーツ庁のキャンペーンの効果によっては週末を待たなくともスニーカーOKとなるのだが、そのぶん通勤靴から解放される週末のよろこびはどこかへ行ってしまう。そんなことを考えながらJRや地下鉄でそれとなくお足許を観察しているがいまのところ変化の兆候はない。
退職により、車、通勤用の革靴、ネクタイがほぼ不要となった。「青い山脈」にある「古い上着よ、さようなら」の気分である。じっさい、子供の車を何回か借りたのと冠婚葬祭時のネクタイ、革靴を除いてご縁はない。
スニーカー通勤もけっこうだが、あまりカジュアル化していると退職のときのよろこびが減ってしまいかねない。
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昨年末ルーマニアブルガリアを旅した。ルーマニアではドラキュラ伝説発祥の地であるトランジルバニア地方へ行ったのがいちばんの収穫だった。かつて西欧の人々の目に、ヨーロッパのうちでも文明にもっとも遠い、世間に知られていないところと映っていた地方で、伝説と古城の街がかもしだす雰囲気にのまれてしまった。

吉田八岑、遠藤紀勝『ドラキュラ学入門』(1992年、社会思想社)によればドラキュラ伝説バルカン半島以東のヨーロッパに広く伝わっていて、背景には東方正教会の異教伝説への取締がカトリック教会にくらべて緩やかだった事情があるという。
ドラキュラ伯爵の手下にはジプシーがいて、かれらへの蔑視が作用しているのは言うまでもないが、もうひとつジプシーはドラキュラ伝説と関わっていて、各国を放浪し各地方の文化、音楽、伝説を伝えたなかに吸血鬼伝説も含まれていた。いずれも世界史の教科書にはないヨーロッパの裏事情である。
なお『ドラキュラ学入門』にはジプシーは東欧、ギリシャなどに多くその数は六百万とある。四半世紀前の本だが、いまジプシーはどういった状態にあるのだろう。ナチスはジプシーも抹殺の対象としており、昨年見たジプシーのジャズギタリストジャンゴ・ラインハルトの伝記映画「永遠のジャンゴ」ではナチスとの緊張関係が描かれていた。
ドラキュラ伝説を一躍有名にしたのは十九世紀末に刊行されたブラム・ストーカーの名作『吸血鬼ドラキュラ』だった。いま読んでいるのは平井呈一訳の創元推理文庫版で、中国の志怪小説を除いて怪奇小説とは無縁だったが、ようやくその古典に接した。著者はウイルキー・コリンズの影響を強く受けていて、コリンズの『月長石』『白衣の女』のような登場人物がそれぞれの視点で語る形式(記録体形式)を採っている。
訳者の平井呈一はひところ永井荷風と師弟関係にあったから荷風の読者にはおなじみの名前で、わたしは代表作『真夜中の檻』など怪奇小説を数篇読んでいるもののドラキュラの訳業は知らなかった。
「・・・・・・ジョナサンは容赦なく、持ったる短剣を逆手にふりかざすと、突然激しく切ってかかった。太刀風すごく、あわやと見るより、(ドラキュラ)伯爵は鬼神のごとくサッとうしろへ身を引く」。
怪奇小説と講談調訳文との幸福な結合。いまはこんなふうには訳せないだろう。
ところで、ドラキュラの弱点に、十字架や太陽のもとでは存分に力が発揮できないこととならんでニンニクがある。『吸血鬼ドラキュラ』にはニンニクの花を医薬として施されたルーシーが「ニンニクの花の香には、何か心をしずめるものがある」と語る箇所はあるが、ドラキュラがなぜニンニクを苦手としているのかについての記述はない。ネットで調べてみたが決定的な理由はなかった。
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一月二十二日。関東地方を中心に大雪が降り、東京では20cmを超える積雪を観測した。二0一四年二月以来の大雪で、このときは根津の自宅からいちばん近くの喫茶店でも千駄木までほぼ一駅間を歩かなければならず閉門蟄居を余儀なくされた。ところが昨年、徒歩五分の日本医大病院内にスターバックスが開店し、今回は存分に利用させていただいた。本はもっぱら喫茶店で読むのを習慣としており、大荒れの天候の日にすぐ近くに喫茶店があるのはじつにありがたい。
デイヴィッド・C・テイラー『ニューヨーク1954』(ハヤカワ文庫NV)を読んでいて、ルイ・アームストロングのなつかしいジャズが流れてひと休みしたところで、テーブルのタンブラーやブックマークなど愛用のアイテムに心が和んだ。

『ニューヨーク1954』はマッカーシズムの吹き荒れるニューヨークが舞台で、街や人物、服装などを通してそのころの雰囲気がよく表されている。それと主人公のマイケル・キャシディ刑事の父親がブロードウェイの演劇プロデューサーというのもうれしい。
なかである人物がジントニックを讃えるせりふを口にする。
「わたしにとってジントニックは、春の訪れのしるしでね、寒い時期に飲むものではないが、最初の暖かい日々がやってきたら、最初のジントニックを飲むんだ。ああ。このライムと、キニーネと、冷たく澄んだジンの刺激。来るべき夏とすばらしいできごとの予感」。(鈴木恵訳)
若いとき何度かジンフィーズを飲んだことはあるが、その後、ジンとはすっかりご縁がなかったのが、ポーランドで特産のジンとウオッカを買って帰り、飲んでみると生で飲むのはややきびしく、ライムとブレンドしたところ、これがなかなかよろしい。
こうしてウィスキーと焼酎の棚に突如ジンとウオッカとライムが鎮座するようになった。
フィリップ・マーロウ氏の影響でバーではよくギムレットを注文するが自宅でのカクテルはジンライムウオッカライムを以て嚆矢とする。
降り積もる雪が春の訪れのジントニックのたのしみを大きくしてくれている。
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デイヴィッド・C・テイラー『ニューヨーク1954』につづいてレイモンド・チャンドラー『水底の女』(村上春樹訳、早川書房)にとりかかった。
チャンドラーは七作の長篇小説を書いていて村上春樹は今回の『水底の女』で全作を訳し終えた。もうひとつ短篇のセレクションもあるのかなと期待したが、どうやらそれはないらしい。清水俊二訳のとなりに村上新訳が出るたびにならべてきたチャンドラーの書棚もめでたく完成した。
『水底の女』(清水俊二訳では『湖中の女』)はチャンドラー作品のなかで評価は低く、たしかにミステリーとしてはさほど出来のよいものではない。もっとも出来具合の如何にかかわらず、ここにはまぎれもなくフィリップ・マーロウの世界がある。
「私はそこにとても静かに腰を下ろし、開いた窓の外の夕暮れが徐々に静けさを帯びていく様子に耳を澄ませた。それに呼応するように、ひどくゆっくりとではあるけれど、私自身も静けさを身に帯びていった」。
ストーリーに傷はあっても独自の世界を現出させるところに作者の決定的な強みがある。

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大雪の日から八日連続で冬日がつづいた。マフラーはうっとうしいからできるだけしないようにしているが、さすがにそんなことは言っていられず、このところ重宝させてもらっている。ニット帽にも手が行きかけたが、二つとなると弱気過ぎるのでマフラーだけにした。だんだんと寒さに弱くなっているような気がして困ったものだが、六十代後半ともなれば冷気ばかりでなく血行も影響しているだろう、
オーストリアは、帽子とマスクの同時着用を法律で禁止している。テロ対策の一環だからスタートしたのは近年のことだろう。これを日本でやると風邪やインフルエンザの予防ができないと反対意見が噴出するかもしれない。
先日、ドイツ、オーストリアチェコハンガリーを廻ったが帽子はともかくマスク姿の人は殆ど見かけなかった。一月二十一日の毎日新聞松尾貴史のちょっと違和感」に、日本人のマスク信仰を「異常な光景」と思わない異常との指摘とともに、医療現場や特に衛生に留意しなければならない職業は別にして「だいたい、接客するのにマスクをして顔を隠している人を信用できるだろうか・・・国によっては、なぜ顔を隠すのかと職務質問の対象になる国もある」とあった。
ときにマスクをして走る方を見かける。異様であり、ジョギングする元気があるのになぜマスクをするのか不思議でならない。
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栃の心の初優勝で終わった大相撲初場所。歳時記を開くと、明治時代には一月場所を春場所と呼んでいたとあった。年二場所の時代で、年六場所となってからは三月の大阪場所が春場所に、一月場所は初場所となった。
初場所や空に小さき雀ども」(岩田由美)
どうして雀なのだろうと歳時記の頁を繰ると「初雀」の項に、雀は古くから人里に棲みついた親しい存在であり、日の出前から鳴きはじめるその声はふだんはうるさく感じられるところだが、改まった気分の元日にはむしろめでたく明るく聞こえるとあった。
「初雀」とともに「初鴉」もあり、ふだんは不吉なものとしてあまり好まれない鴉にさえめでたさを感じるところから季語としたのがわれらの祖先だった。いま鳴き声をさほど聞かない。鳥が減ったのか、雀も鴉も昔はもっと鳴いていたのだろうか。
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まれにインバネスを着た方を見かける。子供のころは故郷(土佐)でもよく見かけたし、母方の祖父が着ていたのもおぼえている。表装と骨董を仕事にしていたからインバネスはお似合いだった。
高知ではいつしか目にすることはなくなったが、さすが人の多い東京では愛用者が健在だ。自身が着ることはないだろうがレトロでエレガントなコートへの愛着がいまなおあるのはうれしい。

スコットランドインバネス地方で生まれたのに由来するコートの有名どころとしてはシャーロック・ホームズのトレードマークとして、これと鹿撃ち帽、パイプが三点セットとなっている。ただし、コナン・ドイルの原作にはインバネス姿の描写はなく挿絵や映像作品などから二次的に生じた姿である。
わたしが子供のころは「インバ」と口にしていて、正式にはインバネスというのは知らなかった。のちに永井荷風を読むようになり、「二重回し」とあるのをはじめは何だろうと思ったが、すぐにインバネスと気がついた。日本には明治二十年ごろに伝わり和服用のコートとして愛用された。