「ラ・ラ・ランド」

絵にも描けない美しさってどんなふうに描けばよいのかな。言葉にならない素晴らしさを文章で表現するのもむつかしいね。「ラ・ラ・ランド」についてひとことと思ってパソコンの前に坐っているのだけれどなかなか言葉が出てこない。
プロローグはロサンジェルスのハイウェイで渋滞に業を煮やした人たちが歌い踊るダイナミックなシーン。ここで観客は瞬時のうちにミュージカルの世界へと招待される。
物語は渋滞のなかにいたふたり、女優をめざしているミア(エマ・ストーン)と売れないジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)の恋と悩みを軸に展開する。この設定はミュージカル映画の画期的作品のひとつ、一九三三年の「四十二番街」以来このジャンルが得意としてきたバックステージものが意識されていると思う。

オーディションに落ち続け、一念発起してみずから脚本を書いて挑んだ一人芝居も当たらず意気消沈し、才能の限界を嘆くミア。いっぽうセブは生活のために心ならずも売れ筋のバンドでピアノとキィボードを担当する。
ふたりのアーティストは夢を叶えようと模索するなかで、ときに生活の苦しさと自身の能力にため息をつき、あるいは現実と折り合いをつけ、また妥協を拒む。そうした姿と恋愛の行方が素敵な音楽と踊りで綴れ織りされる。「セッション」のデイミアン・チャゼル監督のミュージカルについての造詣の深さに裏打ちされた製織技術を讃えよう。一九八五年生まれの三十二歳、後生畏るべしである。
ミアとセブがはじめてデートするシーン。「バンドワゴン」の「ダンシング・イン・ザ・ダーク」を下敷きにしたとおぼしい公園で、ふたりは歌い、踊る。その直後エマのスマートフォーンの電話の着信音が鳴る。このとき歌と踊りで心躍っていたわたしの目にふたりがスマホの時代のアステアとロジャースと映った。
ミュージカル映画史上もっとも優美で魅惑にあふれたシーン、フレッド・アステアエレノア・パウエルによる「踊るニューヨーク」のなかの「ビギン・ザ・ビギン」を連想させるシーンもある。ほかにも「雨に唄えば」や「ロシュフォールの恋人たち」「シェルブールの雨傘」「世界中がアイ・ラブ・ユー」といった作品が走馬灯のようにめぐってくる。これらの作品をふまえてアレンジされたミュージカルのたのしさを満喫し、そうして哀歓あふれる物語に胸がキュンとなった。双方のブレンドの具合はまさしく極上のカクテルだ。
二十一世紀のミュージカル映画としては「シカゴ」(二00二年)と肩を並べる傑作。「シカゴ」がカット割りを多用するなど編集技術を駆使していたのに対し、こちらはカメラを据えて主役の二人をじっくりカメラに収めている。
(二月二十四日TOHOシネマズみゆき座)