「ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ」

嘘をついてはいけないけれど知っていることのすべてを口にする必要はない。ところが世のなかには自身のはしたない下半身のことがらを曝したくてたまらない人がけっこういる。
このドキュメンタリー映画のアンソニー・ウィーナーもそのひとりで女性と性的なメッセージや画像をやりとりする(セクスティングと呼ぶそうだ)のが大好きだ。妻に隠れてそんなことをしているうちにブリーフの内側がもっこりとなった自分の写真を誤ってTwitterに投稿してしまう。ニ0一一年の出来事だった。

一九六四年生まれのウィーナーはルックスもよく弁舌にも長けた民主党所属の連邦下院議員で、妻フーマはヒラリー・クリントンのスタッフの一員として知られており「理想のカップル」として注目されていた。その議員のセックススキャンダルである。ウィーナーは政治家としての資質を問われ、物笑いの種となり議員辞職に追い込まれてしまう。
二年後、猛省したとしてニューヨーク市長選に出馬して再起を期した。立候補の会見では妻も夫への投票を呼びかけた。順調に推移するなか世論調査で支持率トップに躍り出た。ところがここで再度下ネタ写真がネットで拡散してしまう。おそらくいずれかの陣営の画策によるものだろう。投稿したのはウィーナーのかつてのセクスティングのお相手。しかもその写真を彼女に送っていたのは議員辞職の直後だったからあのときの反省は何だったのかということになってしまった。
政治への情熱は有していても、恐ろしく脇が甘く、言葉の軽い候補者は猛烈な逆風のなかで選挙戦を続けた。カメラは候補者と陣営を追い、選挙戦の裏側を映し出す。一度は挫折した政治家の再起を賭けた選挙戦のドキュメンタリーとなるはずだった映画は二度目のスキャンダルにより事態は一転、まさかの展開のなかでの選挙戦に密着取材した未曾有の作品となった。
立候補を取りやめ、映画の企画は断念するのがふつうの人の処世のあり方だろう。しかしウィーナーは違った。「謙虚と沈黙の代りに、我が党は正義の権化、他党は邪悪のかたまり、という絶叫を、音量も大きく、スピーカーから流すのが、政争や選挙の方程式であり、党派性ということである」(京極純一『文明の作法』)という原則に殉じたのである。
自陣の選挙責任者から「当選の可能性は皆無」と告げられ、ドナルド・トランプ氏の「ヘンタイに用はない!」をはじめさまざまな嘲笑を浴びながらも最後まで選挙戦を戦い、映画を頓挫させずに完成させたことでこの人は選挙と議会政治のあだ花を咲かせたのだった。
選挙のあとコメンテーターとしてテレビ出演していた元政治家は司会者の「現代の政治家は私生活の細部まで露わにされる危険性があります」との言葉に「ああ、ぼくはこの場にいられない。急いで家に帰りたい」と軽口で応じていた。いかにもアメリカらしい光景だ。
余談だが、もしも二度目の写真の流出を織り込んで企画されていたとすればこれはジョシュ・クリーグマン、エリース・スタインバーク、ジュリー・ゴールドマンの製作陣(前の二人は監督でもある)による前代未聞の謀略作品となる。
(二月二十八日シアターイメージフォーラム