年末年始

森泉笙子さんからご案内をいただき練馬区立美術館区民ギャラリーの「Rの会展」へ行ってきた。Rの会は現代美術を学ぶ生涯学習団体で森泉さんは下の写真の油絵を出品されていた。
美術館は西武池袋線中村橋駅近くにあり、この線を利用することはめったにないが、学生時代にはときどき東長崎で降りた覚えがあり、それがどうしてだったのかが思い出せない。ガールフレンドがいたところだったら絶対忘れないから何かの野暮用だったのだろう。
美術館の本館では「粟津則雄展」をやっていて、偶然だが森泉さんの著書『新宿の夜はキャラ色』には彼女がママをしていたバー「カヌー」のお客さんだった粟津則雄が、自身の訳したランボーの近刊本を差し出して、これを飲み代にと言ったというエピソードがある。
森泉さんの名付け親は埴谷雄高。その前は関根庸子の名で日劇ミュージックホールの舞台に立っていて、今回、その当時のパンフレットを撮らせていただいた。ちなみに日劇の前は朱里みさを舞踊団の座員で、座長は七十年代はじめ「北国行きで」で大ヒットした歌手朱里エイコの母親である。
ミュージックホールを経て一九五九年(昭和三十四年)新宿に開店したのが「カヌー」で、まもなく文壇バーとしてその名を知られるようになった。埴谷雄高水上勉田村隆一中島健蔵野間宏井上光晴吉行淳之介などの文士たちが夜ごと集って泥酔していたという。
野坂昭如『新宿海溝』にその頃の関根庸子の姿がある。
秋のさなかの一日、陽が落ちてすぐカヌーに入ってみると、赤いタイツをはいた大柄な女が、カウンターに沿ってならべられた椅子に乗り、天井の切れた電球を取り替えていた。客はいない。一見の、しかも気の早い客をいぶかしがりもせず、庸子が「いらっしゃいまし」といい、椅子を降りようとして、タイツのふとももの部分に小さな穴を見つけ、「あら、恥ずかしい」と掌でおさえカウンターの中に入った。

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郵便配達は二度ベルを鳴らす」のさいしょの映画化は一九三九年ピエール・シュナール監督の「最後の曲り角」だった。このフランス版のあとにイタリアでルキノ・ヴィスコンティが一九四二年に、アメリカでティ・ガーネットが一九四六年に、おなじくボブ・ラフェルソンが一九八一年にリメイクをした。
本ブログ二0一三年五月七日の記事にわたしは、リメイク版はいずれもビデオ化されているのに「最後の曲り角」だけは片鱗すら現れず、二十年以上あこがれつづけていると書いた。小林信彦『小説探検』には「三九年のフランス映画版を観ている人を知らない」とある。ところが、クリスマスの日、この記事に「はじめてコメントします。最後の曲り角 Le Dernier Tournant のコリンヌ・リュシエールは、なんだか、恐怖のまわり道 Detour のアン・サヴェージを思わせて、私は魅力を感じませんが、あの物語には合っているかもしれません。原作に忠実で、殺されるミシェル・シモンは例によって素晴らしく、殺し場の緊張感や、ドライブイン前の風景、乱闘シーンの迫力など、見どころの多い作品です。今では YouTube にアップされています」というコメントが寄せられた。思ってもみなかったクリスマスプレゼントをいただいた驚きと感激、そうしてこれまでの映画鑑賞歴のうえではまさしく「事件」である。
字幕はないけれどジェームズ・M・ケインの原作を読んでいればなんとかなります。作品については上のコメントにあるとおりでコリンヌ・リュシエールは清純派の女優が背伸びして悪女を演じている印象。あこがれの未見の必見作のお知らせに多謝!
コリンヌ・リュシエールは、一九二二年生まれの作家中井英夫が、戦後に彼女が対独協力の廉で薄幸薄命の人生を送ったと聞かされたとき「妙に腹立たしく、特別弁護人か何かになって、いかに(「格子なき牢獄」での)彼女の不良少女ぶりが魅惑的で美しかったか、それが戦争中の日本ではいかに得がたい貴重な喜びだったかを一席ぶちたい気持に駆られた」と書いているようにとりわけわが国の学徒出陣世代の琴線に触れた女優だった。

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曲亭馬琴俳諧歳時記栞草』を眺めていると大晦日について、この日、身分の上下を問わずつぐみ鳥を焼いて食う、そのこころは身を継いで長久を願う。また、質屋ではかし鳥を食う、そのこころは金魚を他人に貸してその利を取ることを願う。昔は年越しそばだけじゃなく、鳥の縁起物もあったわけだ。
つぐみ鳥については、ネットに、岐阜県在住の方が山のほうのちょっとディープなスーパーのようなところへ行くと「つぐみ」という名の鳥が丸ごと(つまり捕獲したままの姿、だからもちろん毛・足・頭付き)で冷凍され5、6羽入って1万数千円という高額で売られていたと書いていた。
かし鳥については「鳥の名。かけすの別名。一説につばめ、うぐいすの別名とも」(学研全訳古語辞典)とあり、またWikipediaでカケスをみると、鳥綱スズメ目カラス科カケス属に分類される鳥と説明されている。スズメは食べられるがカラスは食えるのかなあ。花鳥風月に弱くてお手上げだ。
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明けて六十七歳の年を迎えた。生き長らえてあれば六十九でラグビーワールドカップ、七十で東京オリンピックが見られることになる。できれば前者の開幕ゲームと後者の開会式はテレビではなく会場に足を運びたいと願う。ただし後者は不透明感がつきまとっており、元首相とそのご一統が東京都をはじめとする関係諸機関と充分な合意形成を図ることなく独断専横で推進するというのであれば興ざめはまぬがれない。
元旦は昨年冬の旧ユーゴスラビア地域への旅行で買った、チトー大統領が愛飲したというDINGACというブランドのクロアチアワインを味わったが、そのあとのウィスキーが効きすぎたのか翌朝はヘタレで「気に入りの爺(じい)は酔うたり松の内」(巌谷小波)、今ひとつ句意は不明ながらそんな気分である。
「改年の御慶めでたく天の戸を明ましてよい春は来にけり」(赤良)。
「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」(其角)。
ともにめでたい気分に溢れていてうれしいが新年早々さっそくイスタンブールのナイトクラブでの乱射事件が報じられていて天下泰平の江戸の春が夢のようである。
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駅伝、マラソンを愛好する友人たちと箱根駅伝のゴール大手町へ行き、それぞれが応援する大学のブースでアンカーを迎えた。ゴールするまでは応援団の指揮部の学生、チアリーダーのお嬢さんたちと応援歌を放歌高唱、ゴールとともに校歌を斉唱して応援は散開、ブースをあとにした。贔屓の大学を応援していたメンバーとは銀座で落ち合いビアホールでジョッキを重ねた。