ジェロニモス修道院(西班牙と葡萄牙 其ノ五十)


ジェロニモ修道院ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓およびエンリケ航海王子の偉業をたたえ、一五0二年マヌエル一世により着工された。一五一一年にほとんど完成していたが、一五二一年のマヌエル一世の死去など紆余曲折があり最終的には三百年の工期となった。十六世紀ポルトガルで発達したマヌエル様式を工法とした代表的建築物とされる。建築資金は香辛料貿易による莫大な利益を充てたおり、その点では大航海時代ポルトガルの繁栄栄華のモニュメントである。
一九七七年に刊行された松田毅一天正遣欧使節』には「ゴア、アンゴラ、モザンビクと次々に海外領土を放棄するのを余儀なくされた昨今のポルトガルでは近世初期の海外発展を呪う声が巷間に満ちているという」とあるが、それから四十年近く経ったいまのポルトガル市民の多くは祖先の偉業やかつての海外発展をどのように見ているのだろう。