日本橋へ

二0一四年三月日本橋の「COREDO室町」にオープンしたシネマコンプレックスは自宅から歩いて行かれるところなのでけっこう重宝している。まずは不忍池へ出て、湯島、秋葉原御茶ノ水そうして神田駅西口商店街を通りJR神田駅へ、その西口から南口へ抜けて今川橋、日本橋室町というのが道筋で、わが家からの所要時間はおよそ五十分。連れはなく、附加の用事もなければ運動になるし交通費の節約にもなる。

古今亭志ん生黄金餅」は頭陀袋をさげて江戸中を歩き、小金を貯め込み吝嗇に徹した西念坊主が死期を悟り、おなじ長屋で金山寺味噌を売る金兵衛が買ってきてくれた餅に大切にしてきた小金を包み、飲み込んで死ぬ、その姿を覗き見していた金兵衛は遺骸を麻布絶口釜無村の木蓮寺に運んで経を読んでもらい、桐ケ谷の焼き場で荼毘に付したあと腹部から小金を取り出し、それを元手として目黒に餅屋を開店する、おなじみ江戸名物黄金餅由来の一席だ。
下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下へ出て、三枚橋から上野広小路へ出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ堀様と鳥居様のお屋敷をまっすぐに、筋違御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出まして、新石町から鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして、石町から本町へ出まして室町から日本橋を渡りまして……」というのが金兵衛の遺骸を運ぶ行程の前半部分で、筋違御門は交通博物館附近、新石町は神田駅周辺、鍛冶町は同駅南に当たっていて、わたしが日本橋に向かう際の道筋と相当部分が重なる。
志ん生の落語をたどりながら映画に向かうのはよいが、麻布絶口釜無村へ行くのは願い下げにしていただいている。着いた先の「COREDO室町」前にある敷石道は風情のあるわがお気に入りの一角だ。