小津安二郎生誕110年没後50年

田中眞澄『小津ありき』に筈見恒夫のエルンスト・ルビッチ評が引用されていた。
「維納流ソフィスティケートとエロティシズムの大胆なる映画移入」「洒落と冗談の仮面を冠った近代人の憂鬱」「スマートな逆説による頽廃の感情」云々。これらの評言はルビッチの強い影響を受けたビリー・ワイルダーと小津のなかにも見いだされる要素だ。ルビッチ、ワイルダー、小津の三角形の広場にある作品群がわたしに映画を観るしあわせをもたらし続けてくれている。
筈見恒夫の言葉はナチス占領下のポーランドからの脱出を計画する芸人たちの姿をルビッチ・タッチで描いた『生きるべきか死ぬべきか』とおなじ1942年(昭和17年)刊行の本にあるという。さいわい検閲もそこまで手が回らなかったのか。
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NHKBS放送で小津、里見共作のドラマ「青春放課後」の放映があった。1963年に放映された単発ドラマで、映像は現存しないとされていたが、ことし2013年にNHKでキネコ映像が発見された。小津安二郎生誕110年没後50年の嬉しい贈り物だ。

視聴のあと田中眞澄『小津ありき』を読み継ぐ。所収の斎藤武市インタビューに「武市ちゃんなぁ、芝居には二通りあるんだよ。一つは表現の芝居で、もう一つは説明の芝居だ」という言葉がある。ここで小津の用いた音楽を思った。
芝居における表現と説明の対位を小津は音楽についても考えていたのではないか。悲しい場面に悲しさを煽るような音楽をつけるのは愚かしく、説明の音楽にあたる、というふうに。「青春放課後」の演出は畑中庸生とあり、小津の意を汲んでだろう説明の音楽を避けていて好感が持てた。出来のよい連句の間合いを思わせる映像と音楽だ。
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田中眞澄『小津ありき』は小津について「昭和の東京の年代記作家」「東京の原像が戦前の東京の風景に結ばれており、彼のモラルが明治生まれの、戦前に自己を形成した日本人のそれを核心としていた」、その人が描き続けたメインテーマが家族とその解体だったと述べて簡にして要を得た小津像を提示している。
人生の時間のなかで人は出会い、また別れなければならないけれど時間の受け止め方となるとさまざまだ。「東京物語」で時間に押し流される山村聡杉村春子と、限りある時間のなかにいとしさを希求しようとする原節子香川京子とは時間への処し方が対照的に映る。有限の存在である人間が時間とどのように向きあうかが問われているというのが「東京物語」を観たときのわたしの第一感だった。
小津のなかには時間の中にたゆたいながら時間から自由になろうとする感覚があったような気がする。たとえば「青春の夢いまいづこ」にはそんな思いが詰まっている。小津の通奏低音は「生まれてはみたけれど」だが「青春の夢」には時間から自由になり、明朗で屈託のない世界に遊ぶ小津がいる。
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京橋のフィルムセンターで「あきれた連中」を観た。吉本興業とPCLとがはじめて提携した1936年の作品。「早慶戦」を含むエンタツアチャコの漫才、チャップリンを意識したとおぼしいエンタツのボクサー役(拳闘家って言ってましたな)、リキー宮川の出演(残念ながら歌のシーンはなかったが)がうれしい。

カフェー(女給に堤眞佐子)、ボクシング、神宮球場での早慶戦の模様(「都の西北」と「若き血」をミックスした編曲がたのしい)、挿入曲として用いられた当時のジャズソングなど「あきれた連中」は戦前昭和のモダニズムの雰囲気が横溢している。それと横山エンタツのアクション芸に接したのは眼福だった。
アチャコエンタツしゃべくり漫才の元祖とされるが「あきれた連中」からは、エンタツチャップリンキートンを見据えたスラップスティックの芸をも志向していたことが窺われる。息子の花紀京は、いろんな芸人を尊敬していて、それは自分のキメ手となる芸がなかったからだろうと言うが謙遜と受けとっておこう。
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きょうもフィルムセンターで「権左と助十」を観た。原作岡本綺堂、監督伊丹万作に惹かれて。大家が家賃の催促に廻っている。店子はあれこれ理由をつけて免れようとする。古典落語の世界、のんびりした長屋の風景がいい。山中貞雄丹下左膳餘話 百万両の壺」を連想させる。難を言えば殺人事件の謎解きが弱い。なかに権左の鳥羽陽之助と助十の小笠原章二郎が歌いながら駕籠を担って行くシーンがあり、とてもたのしい。もしも日本版「ザッツ・エンターテイメント」が編まれるならぜひとも入れてほしい場面だ。音楽は一昨日観た「あきれた連中」とおなじ紙恭輔伊丹万作のミュージカルの感覚が光っている。

助十役の小笠原章二郎ははじめ活字で覚えた人で、色川武大『なつかしい芸人たち』に「このくらい戦時体制と合わない役者も珍しい。大概の人は兵隊の役ぐらいできるのだけれど、小笠原章二郎では兵隊の役も駄目なのである」とある。映画では「蟹工船」で観たのがはじめてだった。色川本には「東京物語」の帰郷する笠智衆東山千栄子が座る東京駅の待合室のシーンの客の中に彼がいるとあり確かめたところ、なるほどしっかりと出ていた。
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国学力テストの学校別結果の公表が来年度から可能になるそうだ。プライバシーに配慮しながらの公表は当然の話だと思う。可能にするのではなく公表してしかるべきだ。関係者ばかりでなく受審した(させられた)児童生徒に学校別(学級別も必要では)を含む詳しい結果を知らせないほうがおかしい。反対論も根強いそうだが、選挙で投票を言っておいて結果の詳細を知らせないようなものじゃないかなあ。そうしたデータを出すのがはばかられるというのであればテストの実施の再考が必要だろう。実施するのであれば何よりも受審した生徒は知る権利があるはずだ。学校ではスポーツの対外試合の結果などは校舎に垂れ幕をかけてまでして公表しているのに、学力テストになるとどうしてこんな騒ぎになるのだろう。
毎日新聞にデータの公表が学校選択制と絡む危険性を指摘する記事があった。学力テストの数値、スポーツの戦績、進学実績、いじめの発生件数など可能な限りデータを出して生徒保護者の学校選択の一助とするのがどうしていけないのか理解に苦しむ。
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須賀敦子全集』第四巻所収「写真の予感に導かれて」という短文に、ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が紹介されている。
  戦争が終わるたびに
  誰かが後片付けをしなければならない
  何といっても、ひとりでに物事が
  それなりに片づいてくれるわけではないのだから(沼野充義訳)
ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩は彼女の故国ポーランドを踏みにじり、売り渡した連中に問いかけた軽やかなことばの連なりだそうだが、まちがいなく戦争と戦後の問題という普遍性を照射している。戦争の「後片付け」とは何なのか。法制、経済、国民感情等トータルな事実としての終了とは?
詩を社会問題に引き寄せるのにためらいはあるけれど、この詩を読んで、原発と使用済み核燃料の問題を思うなというのは無理だ。「戦争が終わるたびに/誰かが後片付けをしなければならない」の「戦争」を「原発稼働」に置き換えられるところに問題の本質があるのではないだろうか。
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フィルムセンターで「青春酔虎傳」を観た。山本嘉次郎監督。エノケンのP.C.L.における初主演映画。エノケンが歌い、跳び、二村定一が歌い、千葉早智子、堤真佐子たち女優陣が華やかに盛り立てる。浅草でのオペレッタの実績を引っさげての映画進出だからオペレッタ映画と呼ばれている。

群舞シーンには「四十二番街」のバズビー・バークレー幾何学模様を意識したショットがあった。オペレッタとミュージカルの違いが奈辺にあるのかよくわからないけれど、この作品はミュージカル映画としてなんら差し支えない。戦争がなければこのジャンルはもっと発展していただろう。
寺田寅彦『柿の種』にはじめてエノケンの映画を観たときの感想が書かれている。舞台は観る気がしなかったが、映画は思っていたほど不愉快ではない、二村の存在感は薄い云々。作品名は書かれていないが昭和九年六月に発表されており、「青春酔虎傳」は同年五月の封切りだからたぶんこの作品に寄せての感想だっただろう。
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ずいぶん昔に観た「家族の肖像」を見直したものだから、この作品にある社会状況を含めすこしイタリアの社会史を眺めておこうとベルナルド・ベルトルッチ監督「1900年」を借りに上野のレンタルショップへ行った。

とちゅう不忍池のほとりで黄葉が路上を覆う季節にもかかわらず未だ落葉皆無と言いたげな見事な銀杏の樹を見た。写真を撮ってあるいていると中尾彬池波志乃夫妻とすれ違った。千駄木の自宅へ帰っていたところだろう。
レンタルショップでは折しも旧作百円のキャンペーン中で、五時間超の「1900年」を百円で借りた。その帰り道、根津神社の前で売っていた古本均一本の中にレニ・リーフェンシュタール『回想』上巻(文春文庫)があり百円で購入。二百円で過ごす老爺の黄昏どきである。