曲学阿世の徒

曲学阿世の徒は真理に背いて時代の好みにおもねり、世間の人に気に入られるような説を唱える者を指す。 出典は司馬遷史記 』「儒林伝」。
わたしがこの言葉をいつ知ったのかは定かではないけれど、吉田茂の発言を通じてだったのはたしかである。
ジョン・ダウアー『吉田茂とその時代』に吉田の一九二一年(大正十年)岳父である牧野伸顕にあてた手紙が紹介されていて、帝室中心主義の国体擁護に反するものとして社会主義無政府主義、労農運動の高まりを挙げ「今日のごとく研究の自由、学問の独立などと申し立て、ついに曲学阿民の学者輩出、思潮界混乱相増し候ようの義は、将来の由々しく候ところの大事に至るべきようと存じ、憂心この事に存じ奉り候」と述べている。
「曲学阿民」は誤記だが、意に沿わない学者インテリを曲学阿世の徒と決めつける傾向は以前からあったことが窺われる。

ここで勉強を兼ねて吉田茂の政治的立場をふりかえっておこう。
ジョン・ダウアー前掲書で著者は、戦前の吉田茂について「緩慢」な帝国主義者だったと述べている。「緩慢」とはこのばあい、英米との協調と保証をとりつけたうえでの対外侵略を指す。日本のアジアにおける帝国支配には英米の保証が必要であり、またアジアの帝国支配だけでは日本の安全と経済繁栄を保障するには不十分であるとの考え方に立って日独伊枢軸体制を批判した。戦争遂行への批判ではなく方法論の違いなのだが、敗戦工作とも絡んで憲兵により投獄され、そのおかげで戦犯追求はまぬがれた。
この「緩慢」は戦後にも活かされて吉田はアメリカからの巨大な地上軍創設要求に対し「緩慢」な再軍備の原則を頑強に固守した。もっともジョン・ダウアーは、たしかに米国の圧力に対し大規模な再武装に反対したが、それは心からの政策というよりも、究極的には日本の民衆の再軍備の規模を小さく押さえたいとする意向であり、吉田はそうした国民感情を正確に読んでいたとしている。
「緩慢」な政策には二つの反対論があった。ひとつは「緩慢」ではない積極的再武装論で、吉田を政権の座から引きずり下ろした人のなかにはこうした立場の人も多かったが、しかし、かれらにしても吉田の敷いた路線を変えるには至らなかった。これは現在の安倍政権にも関係している。
もうひとつは再軍備そのものへの反対論で、こちらはサンフランシスコ講和条約の締結に際して、再軍備反対、条約後の在日米軍駐留反対、単独講和でない中ソを含めた全面講和、冷戦に対する永久中立の「平和四原則」を訴えた。
こうして国論は分かれ、吉田は東大の南原繁総長たちの説く全面講和論を曲学阿世の徒の空論と断じた。南原たちは強く反撥し、いっぽうでこの言葉はこの年の流行語となった。
南原繁をはじめとする進歩的知識人の主張する「平和四原則」が世論でも広く受け容れられたのは、戦前から米英との協調を志向する吉田を苛立たせた。そのうえ、かれはワンマンと呼ばれたように利かん気で型破りな性格だった。
一九一六年(大正五年)十月大隈重信に代わり寺内正毅が首班になったとき、安東領事兼朝鮮総督の秘書だった吉田は東京へ呼び戻され新首相の秘書官になるように言われたが「総理大臣はつとまると思いますが、総理大臣秘書官はつとまりません」と暴言を吐き、話は取消しになった。
幣原喜重郎が外相のとき、吉田は次官の任にあったが、省内の一部から吉田大臣、幣原次官との皮肉な陰口がささやかれたという。ここには幣原の政治家としての資質とともに吉田次官のものぐさぶりと型破りな言動が含意されていた。いずれも天衣無縫ぶりを示すエピソードである。
かくて「平和四原則」への苛立ちが飽和点に達し、そこに持ち前の性格が顔を出したとき吉田が発したのが曲学阿世の徒であった。
ほかにも首相在任中の問題発言として「不逞の輩」と「汚職は流言飛語」があった。ジョン・ダウワーの本には、政党に正直に帳簿をつけろとか、帳簿を公開せよなどというのは馬鹿げている、政治資金規正法など守っていたら政党政治はおしまいだとの発言も見えている。(昔は堂々とこんな発言をしていたのはおどろき、いや、言うと言わぬだけの違いか?)
もっとも自身は失言と思っていないから謝罪はしていない。ついでながら、バカヤロー解散の引金となった、質問者の社会党右派の西村栄一議員を「バカヤロー」と口にしたのはその場で謝罪している。
ここで麻生太郎副総理兼財務大臣という吉田茂の孫にあたる方の言葉を引き合いに出すのはまことに相済まないが、血縁関係は政治的利益にもなっているだろうから申しわけないけれど甘受していただくほかない。
社会保障費の増加について「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子供を産まない方が問題だ」。
アベノミクスの経済政策のなかで「利益を出してない企業は運が悪いか能力がない」。
いずれもさきの衆議院議員選挙中に報道で取沙汰された応援演説の一部である。
内容の当否はともかく、二つの発言とも痛烈というよりどぎつく、荒っぽい。贔屓目かもしれないが祖父のほうは漢語で練られているぶん角が取れており、現在から見ればユーモアと品格が漂っていて、いまの大臣議員諸公の失言にはない質の高さを感じる。それと一連の吉田放言は麻生のばあいと違って他の場面でも転用が利く。曲学阿世の徒が流行語になったのもそうした事情が作用していただろう。だいいちわたしが吉田放言から曲学阿世の徒という言葉を知ったような教育効果は麻生の応援演説にはない。