子供合埋碑


新宿の成覚寺にある子供合埋碑。傍の新宿区教育委員会による説明板には、江戸時代の内藤新宿にいた飯盛女(子供と呼ばれていた)たちを弔うため、万延元年(一八六0年)十一月に旅籠屋中で造立したもので、惣慕と呼ばれた共葬墓地の一角に建てられた墓じるし、とある。
飯盛女の契約は年季奉公であり、年季が明けぬうちに亡くなると惣慕に投げ込むようにして葬られたという。三ノ輪の浄閑寺は吉原の遊女の投げ込み寺として知られ、同寺には台座石に「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれた新吉原総霊塔がある。新吉原総霊塔の新宿版が子供合埋碑である。
成覚寺は作家の野口冨士男菩提寺で、わたしがはじめて子供合埋碑を見たのは氏の墓参に訪れたときだった。『虚空に舞う花びら』にある「子供合埋碑」で野口冨士男は「かかえ女は飯盛女だから、吉原遊女より格が低い。死んだ後まで……と、私は墓参のつど差別に胸を痛められる」と書いている。