徂徠先生の墓参り

火取虫、蛍、毛虫、兜虫、金亀虫(黄金虫)、天道虫、水馬(あめんぼう)、蝉、蝿、蚊、ががんぼ、紙魚、蟻、蜘蛛、蛞蝓(なめくぢ)、蝸牛……いずれも夏の季語に分類される虫たちで、他の季節と比較して虫の季語が多いような気がする。
青葉、若葉が緑を深めてゆく夏には新緑、若葉、夏木立、万緑、夏草といった緑に関連する季語も多い。虫が多いのも緑の広がりやまぶしい日差しとのご縁であろう。
わが国でもヒアリが見つかったという報道は迷惑な話ではあるが、季節の話題としては夏がふさわしいようだ。南米大陸原産のヒアリが命に関わる害をもたらすのは稀らしいが、軽度の痛み、かゆみなどの症状だけでなく体質によってはアレルギー反応や蕁麻疹等の重い症状が出ることもあるというから、なんとかして水際での阻止を願っている。
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アンチエイジングとかで六十代、七十代の女が四十代、五十代に見えたと大はしゃぎしているテレビコマーシャルがある。
昔、突風でカツラが飛びそうになり、おもわず頭に手をやって防いだ見知らぬ男の姿に笑いを抑えかねた。
失礼ながらどちらもじつに見苦しい。いくら隠したところで本質は変わらないのだ。
若づくりして、いつまでもお若いとおだてられ、悦に入っている方々にお慶び申し上げるのにやぶさかではないけれど、年相応の自然体で、よい歳の取り方しているなあと感じさせてくれる人に魅力を覚える。増毛、カツラでとりつくろうより、あるがままの自分に魅力を付加するほうが格段に素晴らしい。
老醜という言葉がある。わたしは若いときから老いを醜とおもったことはないけれど、若く見えるとはしゃいでおられる方は老いを醜悪と考えているのだろう。
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『論集 福沢諭吉』(市村弘正編、平凡社ライブラリー)に収める「福沢諭吉荻生徂徠」に白柳秀湖が「徳川氏以降の日本の思想史は徂徠に精通し、福沢に暁達すれば、その間はたしかに飛び越してもさしつかへない。少くとも日本生粋の思想史を学ばうとするならばそれで沢山だ」と書いている。ジャーナリスティックな感覚に優れた民間史学者のみごとなレトリックだ。
福沢をめぐる論説を読むのに併せて徂徠に関する文献を眺めているうち佐藤雅美氏に『知の巨人 荻生徂徠伝』(角川文庫)があるのを知った。同氏の作品を読んだことはないが人気のある小説家の徂徠伝はおもしろく、わかりやすく書かれているに違いないと期待して読んでみたところ、おもっていた以上で、徂徠になじみのない読者にも、かれの人生と学問が理解できる一書となっていた。
わたしは丸山眞男『日本政治思想史研究』を通じて荻生徂徠を知った。学生時代の衝撃の読書体験であり、このほどようやく佐藤雅美氏の作品で「知の巨人」の生涯をたどることができたのがうれしい。同氏の他の作品にも手を伸ばしてみよう。
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佐藤雅美『知の巨人 荻生徂徠伝』を読み終えた記念に、徂徠先生の墓参りに行ってきた。たぶん十年ぶりくらいか。墓所は港区三田長松寺にあり、墓石には「徂徠物先生之墓」と書かれている。

「物先生」はご承知のように、支那贔屓の徂徠が、あちらふうの姓を持ちたいと、先祖は物部氏といって付けたものだ。取って付けたというか無理筋の議論だが、茶目っ気も感じられる。
その徂徠先生、徳川吉宗が政治のあり方について諮問した答申に「平生ノ御学問ナケレバ、定テトクト御会得ハアルマジケレドモ、下問ノ切ナルニヒカレテ、治道ノ事アラマシヲモヲス也」(『太平策』)と書いた。
あなたはふだん学問をしていないから理解はむつかしいでしょうが特に聞かせておきましょう、なんてまさしくびっくりに超が付く。
忖度などおかまいなしの徂徠にブチ切れることなく、以後も意見を求めた八代将軍もえらい。
墓参に出かけるまえに徂徠が老後について書いた文章を読んだ。正確を期す自信はないので、以下に意訳、超訳含みで紹介してみる。
「年をとると勤めも止して、音曲や女色への関心は薄れ、ともに語りあった友人もすくなくなり、そうかといって若者とは交わりにくい。隠居して家のことは子供に任せてあり、いまさらしゃしゃり出るわけにはまいらない。こうしてだんだんと無聊になってゆくと囲碁、将棋、双六などに興じ、ときにお寺参り、説教、だべり、家にいるときは念仏でも唱えるほかにすることはなく、寂寥をなぐさめるのはなかなかむつかしい。老後は厄介なものではあるが、蛇蝎毒虫でさえ天地は漏らさず育ててくれているのだから、老人だってお見捨てにはなるまい。じっさい仏法も墓参も年寄りにはそれなりのおたのしみをもたらしてくれているではないか」。
墓参りも隠居のなぐさめのひとつとした徂徠の一文に苦笑しながら隠居のわたしは長松寺に向かった。

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「政府は二十二日、取引先との接待や懇談などで使う交際費の一部を経費(損金)として認めて税負担を減らす特例措置について……平成三十一年度末まで二年間延長する方向で検討に入った。引き続き企業に飲食店などでの接待を促し、消費の拡大を通じて経済活性化を図る方針」というニュースがあった。
まずは、こんなことをしていたのかと驚き、つぎに接待、宴会嫌いには気分が悪くなる報道だなとおもった。会社の金での飲み食いを税制上認めることと政治資金をめぐる杜撰な仕組みとは一連の問題と考えられる。
酒をこよなく愛しているけれど仕事の上での酒はいやだった。ときに議員先生、◯◯審議会委員などエライさんとの酒席で接待役を務めたが、何が悲しくてこんなことまでしなければならないのかと一再ならずおもったものだった。
酒は心おきなく、自分のペースで飲むのが肝心なのに接待となると盃のやり取りがあるからそうはゆかない。もとから日本酒を避けていたのではなかったが、いやな気持で盃を受けているうち口にしなくなった。
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本ブログ八月三十日の記事「断捨離」に、イマジカBSから「ハウス・オブ・カード」Tシャツを頂戴した、なにしろわたしがこれまでみたテレビドラマのなかのベスト、すくなくともワン・オブ・ベストの作品なので、ファンとしてはまことにうれしく、あるフランスの詩人の「人生はときどき美しい」という言葉を思い出した、と書いた。
さきごろ「枯葉」の作詞者また「天井桟敷の人々」の脚本家として知られるジャック・プレベールの詩集が岩波文庫で刊行された。たまたま図書館に『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹訳、マガジンハウス)があり文庫の元版と見当をつけて頁を開くと「われらの父よ」と題する詩に「天にましますわれらの父よ/天にとどまりたまえ/われらは地上にのこります/地上はときどきうつくしい」とあった。「人生はときどき美しい」は「地上はときどきうつくしい」のうろ覚えの詩句だったとおぼしい。そしてこのあとは「この世のすべてのすばらしさは/地上にあります」と続く。

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荻生徂徠先生がいうように老後の生活はなかなか厄介だ。そこで隠居のなぐさめとして退職したらブログをはじめようと考えていた。さいわいある方が、情報リテラシーの劣るわたしを心配してフォーマットを作ってくださった。退職の三カ月ほど前で、フライングではあったが、親切のよしみからこれを機にブログをはじめた。
退職後の新たな趣味としてはブログのほかに考えていなかったが海外旅行がこれにくわわった。若いとき授業で世界史を主に担当しており、その舞台を訪ねてみようなんて現職のときは脳裡になかったのに、ひとたび出かけるようになると退職金が底をつくのを憂慮しつつも、その誘惑に勝つのはむつかしく、そうしているうちにブログに旅行の覚え書きを載せるようになった。
一枚の写真に四百字ほどの文章を添えるのがわが旅行記事の流儀である。住んでみてわかることとは別に旅人独自の視点もあるというのを理想としているが、現実は旅の思い出の整理と旅行を通じて得たことがらを書いている。ことしはこれまでポーランドギリシア、タイに出かけた。旅する脚に記事を書く手が追いつかず、ようやく一昨年の台湾旅行に取りかかった。