映画「カサブランカ」の都市めぐり

食卓に大根サラダがあり、食後、曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』を開くと、冬の季語として大根引(だいこひく)、これを「だいこ」と略して音読するようになったとあった。ちなみに大根が花を開くのは春の末、したがって大根の花は春の季語、種を蒔くのは旧暦八月で、大根蒔(だいこんまく)は秋の季語である。
俳諧歳時記栞草』には用例の発句がなく山本健吉編『基本季語500選』を見たところ用途の広い野菜らしく大根おろし、沢庵漬など関連季語四十余があった。「和歌、連歌にはほとんど詠まれず、その庶民的な生活味は、俳諧ではじめて好題目とされた」との由、たしかに和歌で大根は聞いたことがない。
もののふの大根苦きはなし哉」(芭蕉)。苦い大根を食しながら侍づきあいの堅苦しい話に終始したとの意。一茶「大根で団十郎する子供かな」は芝居の真似事に興じる子供が大根を刀に見立てている姿か。「武者ぶりの髭つくりせよ土大根」は蕪村。図らずも大根と武張ったこととが取り合わされている。
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日本映画専門チャンネルで「無法松の一生」を観た。何度かリメイクされているが、稲垣浩監督、阪東妻三郎の無法松、園井恵子の吉岡夫人、沢村アキオ(長門裕之)の吉岡敏雄少年のこのオリジナルが出来映え、キャストともに一番好きだ。戦前は内務省、戦後は進駐軍の検閲でカットに遭って99分を85分にされている。

今回観て気づいたが小倉の旧制中学生吉岡敏雄少年が仲間といっしょに喧嘩に出かけたのを知った母親が無法松に相談に行った場面で「喧嘩の相手は誰なんな」「これまでのいきさつから師範学校の生徒だと思います」といったやりとりがあった。漱石『坊つちゃん』にあるのとおなじ旧制中学と師範学校の喧嘩だ。
漱石は中学校と師範学校は「どこの県下でも犬と猿のやうに仲が悪いさうだ。なぜだかわからないが、気風が合はない。何かあると喧嘩をする」と書いている。旧制中学高校→帝大→文部官僚と師範学校→義務教育の先生というモデルを想定すると、のちの文部省・自民党文教族議員と日教組との対立の先取と見える。
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六本木ヒルズで、弱小アメリカンフットボールチームの再建をめざすGMNFLのドラフト会議で繰り広げる駆け引きや頭脳戦を描いた「ドラフト・デイ」を観た。アメフトやドラフトに興味があるわけではなくもっぱらジェニファー・ガーナーを観たくて。この人とキャサリン・ゼタ=ジョーンズが出演した作品は外せない。
冒頭日本人向けにNFLのドラフト会議の仕組みとルールの説明やケビン・コスナーの丁々発止とやり合うシーンで感じたのはドラフト会議もスポーツになっていることで、だからこうした作品が作られたわけで翻って日本のプロ野球のドラフトが映画の素材になるのだろうか。
酒席で好みの球団を訊ねられるのはプロ野球への興味関心がさほどないので困ってしまうが、答えはその時点でのトップチームで、低空飛行を続ける球団に妙な思い入れを持つ心情などないから仕方がない。ひいきのチームが勝つのを見るのがファンのよろこびで、ひいきのチームがないわたしは勝つチームをひいきにしているにすぎない。権勢に媚びる奴と嗤わば嗤え。それでも巨人と答えるときドラフトでの江川や桑田のズルが陰をさす。
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吉行和子『どこまで演れば気がすむの』に彼女が新人だったころ、演出家から届いたメモに「最初の出、下手すぎる」と書いてあったので貧血を起こして倒れてしまったとの話があった。「しもて」と読むところを「へた」と読んで衝撃を受けたのだった。「ちょっといい話」に採録されてよいエピソードですね。
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昭和十四年十二月八日の古川ロッパ日記に「朝から九品仏のロケ、寺の事務所で支度して、『愛染かつら』のパロディー場面、移動を主として数カット」とあった。これまでわたしが読んだ本のうち、いちばん早い「パロディー」の使用例である。当時の芸能界でこの言葉はさほど広く使われてはいなかっただろう。「愛染かつら」は前篇、後篇が昭和十三年、「続愛染かつら」と「愛染かつら完結篇」が昭和十四年に公開されており、さっとくパロディー化されるところにその人気のほどが知れる。
おなじく古川ロッパ日記昭和十四年十二月三十日「土屋伍一、うんと叱ったら反抗して腕力で向ってきた、馬鹿ほどこわいものはなし、上森が飛んで来て中へ入り、土屋にあやまらせるので、笑ってやる」。
このころ土屋伍一はロッパ一座の座員だった。戦後の初期にヘレン滝(写真)という人気ストリッパーがいて、土屋は彼女といい仲だったが、まもなく二人とも酒とヒロポンで身を持ち崩した。

ヘレン滝が銀座へバーを開いたのはよかったが土屋とヘレンが商売そっちのけで飲むものだから商売になるはずもなく、やがて閉店、といった話が色川武大『あちゃらかぱいッ』にみえていて、ヘレンが日劇ミュージックホールと契約したとき東宝は土屋と別れることを条件としたため、これを機に二人は離れた。
ヘレン滝と別れた土屋伍一は芸能人御用達の指圧師になり楽屋を渡り歩いており、ロッパの日記にもときどき登場している。色川武大は「どことかで習ったといっていたが、ちっともうまくない。まァ、指圧の押し売りに近い」と書いているが、ロッパ日記では「一回目の了り、伍一指圧す、やっぱりガスが出るし、快し。二回目の了りに又揉ませる」(昭和二十九年一月十四日)「十二時半すぎ、伍一来り揉み出す。二時半、叉焼麺一つ食ふ。その後又三十分ばかり揉ませる」(同二月十日)とあるように必ずしも下手というわけではなかったようだ。
この二月十日の記事は「伍一には、昨日の分と、又次のを含めて千円やる。昨日は清川虹子より五百円貰った由、商売になるよ」と続く。色川武大は、伍一は指圧の値段を、人気や将来性のある者は高く、逆は安くしていたと書いている。ロッパは伍一の値段のしくみを知っていたのだろうか。
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かねてより待合というところが気になっていた。永井荷風の小説や日記にしょっちゅう出てくるが、ラブホテルの戦前版くらいのイメージしか浮かんでこない。詳しく知りたいと思っても適当な資料に行きあたらず模様眺めしていたところ「東京人」三月号、川本三郎「東京つれづれ日誌」第五十七回「正月の左富士と沼津」に、成瀬巳喜男監督「流れる」に寄せて待合についてしるされていた。
料亭、待合、芸者置屋の三業があったことから花街を三業地と言う。川本氏は花街で遊んだことがなく、三業のなかの待合のイメージがない。そこである宴席で現役の新橋の芸者さんに待合について質問したところ、芸者さんはすこし言葉を濁しながら「客と芸者が会うところ」「料理屋も客と芸者が会うところですが、料理屋には風呂はありませんが、待合には風呂が付いています」と答えてくれた。そのうち風呂に留意して文学作品に待合を探ってみよう。いま、東京に待合はないそうだ。
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スペインとポルトガルを廻るツアーに参加し九日間の旅を終え帰国した。両国ともに訪れるのははじめてでバルセロナサラゴサマドリードラ・マンチャグラナダ、ミハス、セビリア、エヴォラ、ロカ岬、リスボンなどを訪ねた。
映画「カサブランカ」の冒頭のナレーションは、ナチスの迫害を避けようとした欧州の人々はモロッコカサブランカにたどり着き、そこから中立国であるポルトガルリスボンへ行き、そうしてアメリカへ逃がれたと語る。今回リスボンを訪ねたことで、リック(ハンフリー・ボガート)とイルザ(イングリッド・バーグマン)が恋におちたパリ、そして二人の再会の地であるカサブランカ、さらにラズロ(ポール・ヘンリード)とイルザ夫妻が向かったリスボンと大好きな映画の関係する都市を一回りできたのがうれしい。
それにしても帰国してからよく朝寝坊する。そろそろ生活を旅行前のスタイルに戻さなければならない。早寝早起き型が早寝遅起きになると一日がずいぶんと短く感じられる。

ただしきょうはそんなこと言っていられない。第92回新宿ー青梅43kmかち歩き大会の日である。三月と十一月に開かれる大会だが、昨年十一月は天候が思わしくなく、わたしたちのグループは幹事の判断でボーリング大会に切りかえたため、このコースをあるくのは一年ぶりとなる。結果は八時三十分に都庁前公園をスタート、十五時五十六分に青梅市体育館にゴール、百四十五位。昨年の秋、右足ハムストリングスを挫傷したあとはじめてあるいた43kmだが、おのずと心が足をかばっている。恒例の慰労会は立川のもんじゃ・お好み焼き屋で。そうそう、ゴールインしたあと河辺駅前の温泉でお湯に浸かった。温泉とお酒がともに心と体に沁みる幸せ!