和歌山のひどく女好きの老人が殺された事件がマスコミを賑わしている。犯人逮捕のニュースはまだないから、むつかしい様相を呈しているようだ。
開高健『最後の晩餐』を読むと、食の極限は人命に関わるとよくわかるが、女の諸相はあらためて論ずるまでもない。
「紀州のドンファン」は交際クラブなどを利用しおよそ四千人の女性と関わったと公言していて「相手をしてくれる女性に払うお手当は1回30万〜50万円。無駄遣いという人もいますが、後悔していません」と語っている。
獅子文六に「鮎と蕎麦食ふてわが老い養はむ」という句があり、作者はビフテキやウナギを食って若い女を追い駆けようなんて意思は毛頭ございませんというところを表現したと解説してくれている。わたしはビフテキ、ウナギ、鮎に蕎麦どれもいただくが女を追いかける意思はない。人生いろいろである。
それはともかく「お手当は1回30万〜50万円」は無駄遣いどころかはした金に過ぎない。女のためなら千里の道も遠しとせず、家屋敷をたたき売っても悔いない狂熱を思えば、このお手当はチャチであり、しかもその金は家屋敷をたたき売ったのではなく不動産業で儲けたものだからなおさらに好きな女のために不動産を売り飛ばしてみろと言いたくなるね。
ご冥福を祈る。
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NHKBSでジョーン・クロフォード主演の「ミルドレッド・ピアース」(1945年)と「大砂塵」(1954年)を観た。
前者は二度目で、ケイト・ウィンスレット主演のテレビドラマ版も見ているのに、後者はペギー・リーの歌う主題歌「ジョニー・ギター」に長年親しみながら未見のままだった。VHSで録画したのにいざ見ようとすると興が乗らずテープは散逸してしまい、今回ようやくめぐり会えた。
「ミルドレッド・ピアース」の監督はマイケル・カーティス(1888-1962)(原作はジェームズ・ケイン!)。はじめてのマイケル・カーティス作品はジョン・ウェイン主演「コマンチェロ」(1961年)でわたしは小学六年生だった。当時は監督名を知らず、のちに「カサブランカ」の監督と知り、フィルモグラフィーを眺めるうちに遺作となった「コマンチェロ」があった。
メロドラマ、西部劇、ミュージカル、ホラーなどなどそのカバーする範囲は広く、「職人監督」の名にふさわしい人だった。好きな作品として「カサブランカ」これに「汚れた顔の天使」と「俺たちは天使じゃない」が続く。
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奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫)を読んだ。『「吾輩は猫である」殺人事件』以来だからおよそ二十年ぶりの奥泉作品だ。
高校時代の友人のコンサート評が新聞に載っていると、アメリカにいる別の友人から連絡がある。そんなはずはない、高校生のときからピアニストとして将来を嘱望されていた彼の指は不幸にも切断されたのだから。
こうして連絡を受けた「私」はおなじ学校に転校してきて友人になった高校生ピアニストとの交友の日々を手記に書き始める。音楽に魅せられた高校時代に生じた激震、それは、ある夜、学内で別の高校の女生徒が殺された事件だった。
殺人事件と切断された指の謎の解明を骨格とするミステリだが、手記が進むとともに物語はカタストロフへとなだれ込む。オビに「純文学にして傑作ミステリと絶賛された話題作」とあるのは過言ではない。さらに著者のシューマンについての蘊蓄がたいへんなもので、「トロイメライ」しか知らないわたしでもそれはわかる。
作中に「もし私に才能と呼ぶべきものがあったとしたら、自分の無能さに絶望しない鈍感さということになるのかもしれない」との一節があり、いまこのブログを書いている気持を言い当てられたようでドキッとした。
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ウィリアム・シャイラー『第三帝国の興亡』(東京創元社)につづき『ベルリン日記1934〜1940』(筑摩書房)を読み終えた。前者は戦後になって書かれた概説書、後者は在独時代の日記で、まさしく歴史のライブ中継だ。
ここ数年ヨーロッパ各地を旅して第二次世界大戦の跡を積極的に見て回るうちに、この時代についての本格的な概説書と無縁だったのに気づき、ウィリアム・シャイラー(1904〜1993)にめぐりあった。旅の余得に感謝しながら、蝸牛の歩みでヨーロッパの近現代史を学んでいる。
シャイラーには『ベルリン日記』の続篇でナチの崩壊とニュルンベルク裁判を扱った『続ベルリン日記』(筑摩書房)があり、正篇の勢いに乗って一気に読もうとしたが、井上章一『パンツが見える。 羞恥心の現代史』が新潮文庫に入ったものだから米国のジャーナリストの著作はひと休みしてこちらを再読することとした。
元版は二00二年の刊行で、なつかしさとともに読んでいると意識はどうしてもパンツとその周辺に向かう。
父はいまのミャンマー、当時のビルマから復員して、戦後の社会にはすぐになじんだようだがパンツには違和感があったらしく、長年越中ふんどしを着用していた。
母が縫っていて(晒しに紐を付けるだけだけどね)ついでのことに息子にも配給があり、中学校の一年か二年までわたしはパンツとふんどしを併用した。水泳の授業で着替えているとからかう奴がいてパンツだけにしたが、父がいつまで続けたかはわからない。
女はどうかといえば映画「青い山脈」で芸者の梅太郎姐さん(木暮実千代)が、沼田医師(竜崎一郎)に「大和撫子はパンツとかズロースとかははかないんですからね」と口にするシーンがある。石坂洋次郎の原作からきたせりふで、パンツやズロースの本格的な普及が戦後のことだったと知れる。
もうひとつ本書を読みながらの回想。
実家の近く、歩いて十分ほどのところに色街があり、町名を口にするときもあったが、ふつうは「新地」と呼んでいた。新開地にできた遊郭で、その近くにはブリキかトタンの屋根のあるアーケードで昼なお薄暗い「闇市」があった。
「新地」と「闇市」から通学する生徒のなかに友人がいて、そのなかの一人だったかどうかは忘れてしまったけれど、あるときみょうな話を聞いた。
「新地」の某館では秘密のショーが行われていて一般の客は座敷舞台を正面から見るだけだが、舞台の下には透かしで見えるスペシャルな客席があり、特別な扱いの客には舞台の下からパンツが見える!という。
つくり話と判断できるようになったのとマジックミラーを知ったのとはどちらが先だったか。いずれにせよ昭和三十年代の小学生には、スカートのなかの劇場、パンツが見える!という刺激はむやみに大きかった。
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おなじく井上章一『パンツが見える。』に「週刊現代」(1963/5/16)の女性のパンティ所有枚数についての調査記事が引かれていて「一五歳〜四九歳……この現役女性が保有している枚数は、本誌の調べで」云々とある。半世紀ほど前まで女性を「現役」とそうでない女性に分類するというとんでもないことがまかり通っていたわけだ。
一九九三年に刊行された丸谷才一の小説『女ざかり』の主人公は別れた夫とのあいだに生まれた大学生の娘のいる四十代後半の女ざかりのジャーナリストで、うえの「週刊現代」の記事のころであれば「現役」ぎりぎりの年齢となるが、すでに現役か否かといった分類は消滅した。
戦前の永井荷風の小説に、二十代後半の女ざかりという記述があったが九十年代には女子大生の母親の世代が女ざかりで、いまではこちらも廃語になった感がある。
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千葉大学医学部付属病院でコンピューター断層撮影(CT)の報告書の見落としがあり二人が犠牲となった。短時間で高精度の画像が多数撮影できるようになると、それをしっかり活かすことのできる人材の育成や組織の整備が必要となる。欧米渡来の民主主義とおなじで、制度と機構は輸入しても上手に機能させるには知恵や技術を欠いてはならない。
社会の有機的結合が進化し、複雑になると、その一部の損害の系全体に対する損害はずいぶんと大きくなる可能性があり「時には一小部分の損害が全系統に致命的となり得る恐れがあるようになった」と寺田寅彦が「天災と国防」に書いている。災害についての指摘だが医療の問題にも通じている。
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八月六日。一九四五年のこの日、八時十五分、広島に原爆が投下された。
ウィリアム・シャイラー『第三帝国の終りー続 ベルリン日記』(大島かおり訳)に、広島への原爆投下をめぐるいくつかの論説が引かれている。
「昨日、人間は人間を滅すために原子の力を解き放ち、人類の歴史の新たな章、不気味なもの、奇怪なもの、怖るべきものが、ありふれたもの、自明なものになってしまうという一章が始まった。このような神のごとき力を人間の不完全な統御のもとに置くとき、確実にわれわれは恐るべき責任に直面する」(「タイムズ」軍事特派員ハンソン・ボールドウィン)
「文明と人間はいまや、人類の政治的思考に革命が起きないかぎり、生き延びることはできない」(「タイムズ」社説)
「久しいあいだ慈悲深くも人間から隠されてきた自然の秘密がこうして明らかになったことは、理解の能力をもつすべての人間の精神と良心に、このうえなく厳粛な内省を当然に惹き起こす」(ウィンストン・チャーチル)
それから七十年あまり「人類の政治的思考」と「厳粛な内省」は深化したと言えないのが難儀である。
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晩夏、とくに土用半ば以後の時期、夜に秋の雰囲気が漂うことをいう季語に「夜の秋」がある。江戸俳諧では秋の夜の意味だったが、高浜虚子やその系統の人々により、現在の意味つまり夏の季語に改められた。
季語というのはややこしいもので「オペラ座の裏窓ひらく夜の秋」(市ケ谷洋子)を夏の句とするのはたまたま歳時記で知っていたからであり、そうでなければ秋の句としか思えない。
歳時記の夏は、立夏(五月六日頃)から立秋(八月八日頃)前日までをいうから、厳密にあてはめると八月六日の広島への原爆投下を詠んだ句は夏、九日の長崎は秋になる。釈然としないが、穿鑿よりも「人類の政治的思考」と「厳粛な内省」が先に立つ。
「浦上は愛渇くごと地の旱(ひでり)」(下村ひろし)。
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八月十五日。ウィリアム・シャイラー『第三帝国の終り』に一九四五年八月十五日の「ヘラルド・トリビューン」の社説が採録されている。
社説は、今次の戦争は人類の本性と目的についての基本的考え方にかかわる闘いで、一大体系をなす諸理念が勝利したと述べたうえで、諸理念について「自由と人間固有の尊厳、人道的・民主主義的諸価値の現実性、獣的な力の支配に対立するものとしての秩序ある法にもとづく方法、合理的分析と協同的行動による平和的進歩の可能性」と規定した。
第二次世界大戦の本質を明確にした言説であり、この結果、敗戦国は賠償金の支払いではなく、「一大体系をなす諸理念」の受容を迫られた。日本に即していえば無条件降伏は米国の示す「一大体系をなす諸理念」に沿った国家の再建であり、憲法の書き換えであり、その裏には強制と服従(「NO」と言えないニッポン)があった。戦後のわが国の政治思想の根幹はこれをどう考えるかにあり、地下水脈ではイスラム世界の米国にたいする反撥の問題に通じている。
いっぽう東ヨーロッパでは社会主義というもうひとつの「一大体系をなす諸理念」の受容と強制が図られた。こちらはベルリンの壁(写真はその遺構)の崩壊に象徴される運命をたどった。そしていまヨーロッパの対立軸には難民、移民の影がさしている。