「或る夜の接吻」

「悲しき竹笛」(作詞:西條八十、作曲:古賀政男)という曲を知ったのは中学生のときに見たテレビの懐メロ番組で、それ以来、奈良光枝の美貌とともに忘れがたくなった。
すこししてこの曲が近江俊郎と奈良光江のデュエッでレコーディングされているのと「或る夜の接吻」という映画の主題歌であることを知った。中学三年生、東京オリンピックの年だったとおぼえている。
こうして「或る夜の接吻」は必見の映画となったもののずっと機会を得ないままで、このかんNHK日本映画専門チャンネルにリクエストもしてみたが梨のつぶてだった。ところがこのほど京橋のフィルムセンターが「映画監督千葉泰樹」として五十七作品を特集上映し、ここでようやくめぐり会えた。半世紀経ってやっと念願が叶ったのである。

「ある夜の接吻」は一九四六年(昭和二十一年)の大映作品。
詩人の貝殻一郎(若原雅夫)と建築技師の雁金走平、発明家の紙軽介の三人はともに苦労を重ねた果てに戦線に散った戦友の丸山から妹たちを守ってやってほしいと託されていた。復員した三人は丸山の上の妹綾子(奈良光江)が場末のボードビル劇場で歌手をし、下の妹直子が理髪店に勤めているのを知る。描かれるのは三人の男と丸山姉妹ともう一人会社員の女性の三組の恋愛模様だが、もちろん眼目は貝殻一郎と丸山綾子のカップルだ。
残念ながら全九巻七十三分のうち七巻目十分ほどが欠けていてストーリーの流れには難があるが、敗戦直後のまだ淡き夢の町とさえ言いがたい焼野原の東京のロケがいまとなっては貴重だ。
物語はメロドラマ仕様だがそれよりも奈良光枝の歌謡映画としての魅力に惹かれた。
男の働き手のいない貧しい家計を助けて健気に小さな劇場で歌う丸山綾子。母親は浦辺粂子。貝殻一郎は彼女を新聞社や放送局に紹介し、アピールする。やがて彼が自身の恋情を一途に込めて作詞した「悲しき竹笛」がオンエアーされる。
ラストは雨の降るなかでの二人のキスシーン。唇が触れる寸前に傘が二人を蔽う。
小林信彦さんが、敗戦直後の歌謡曲を代表するのは「リンゴの唄」ではなく「悲しき竹笛」だと書いていた。赤いリンゴに唇を寄せる明るさとは対蹠的に「ひとり都のたそがれに想い悲しく笛を吹く」といった哀傷の詞とメロディは焼跡の光景とあいまって人々の心に沁みた。その心情はいまCDで聴いても甦ってくるような気がする。

(十二月九日フィルムセンター)