お花見の午後

いささか遅れながらの記事となるが三月の終りの一日、江戸川公園へお花見に行くのにあわせて伝通院や播磨坂の桜もたのしもうと欲張って歩いた。昼食のあと根津の自宅から弥生坂、春日を通って伝通院へ、そのとちゅう善光寺坂というなつかしいたたずまいの坂があり、上がりきったところに「青木・幸田」の表札のかかる家がある。青木玉小石川の家』といえばおわかりになるだろう。
伝通院の門前にある桜が美しい。ここは徳川家の菩提寺で、家康の母、於大の方が受けた法名「伝通院殿」にちなみ、院号を伝通院とした。徳川幕府第二代将軍徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼また本田忠刻の正室だった千姫の墓地もある。

伝通院は永井荷風の生家に近く(東京市小石川区金富町四十五番地、現文京区春日二丁目)、のちに荷風は随筆「伝通院」に「巴里にノオトル・ダアムがある。浅草に観音堂がある。それと同じやうに、私の生れた小石川をば(少くとも私の心だけには)飽くまで小石川らしく思はせ、他の町から此の一区域を差別させるものはあの伝通院である」と書いて、小石川の伝通院をパリのノートルダム寺院になぞらえた。
荷風とかかわりのあった作家では佐藤春夫がここに眠っていて、とくに親しむ作家ではないが荷風のファンとしては外せないなと久しぶりにその墓に詣でた。
桜の季節でなければ荷風の生家に向かうところだが、きょうは播磨坂の桜も見なくてはと共同印刷のほうへと向かった。かつての久堅町、プロレタリア文学の名作、徳永直『太陽のない街』の舞台となったところで、ここまで来ると江戸川公園はもう近い。

といったしだいでようやく目的の江戸川公園に着いた。お花見どころとしては上野や九段に較べると地味だけれどわたしはけっこう気に入っている。江戸川の流れに沿った細長い道に桜が植えられ、枝が川に向かって垂れ下がる、その眺めがとても素敵だ。

江戸川の流れというけれど、案内の地図には神田川とある。江戸幕府が整備した上水は上流を神田上水下流を江戸川としていたが、河川法によりいまは神田川の呼称で統一されていて、江戸川は公園の名に残された。
なお「あなたはもう忘れたかしら、赤い手ぬぐいマフラにして」の歌の神田川の舞台となったのはこの界隈ではなく、歌碑は中野区内の末広橋近くの公園にあり、作詞の喜多条忠が住んでいた「三畳一間の小さな下宿」は豊島区高田三丁目にあったそうだ。

文京区から出発して豊島区を経て新宿区へとつづく桜の細長い道の終点近くには面影橋がかかり、近くの大通りを都電荒川線が走る。面影橋というネーミングに多くの橋は嫉妬しているのではないかな。くわえて都電荒川線に乗って眺める江戸川公園の桜を、わたしは車窓からのお花見のベストに挙げる。