震災の日の本と映画

八月十五日。恒例により閣僚の靖国神社参拝が報道されていた。賛否両論を読んでも年中行事の風景を見ているような気分がする。それらに較べ、きょう読み返した評論家の呉智英氏のコラム「あーあ、保守よ情けない」(『健全なる精神』双葉文庫所収)は小太刀一閃の鋭さがある。
生きているときはいろいろあっても、死者となればその霊はみなおなじだと考える日本人は多い。
だから靖国神社の戦犯合祀と世俗の評価とは別物だ。死者の霊はひとしなみとするのは保守派ジャーナリズムが主張してきた。
しかるに山口組歴代組長の法要(二00六年四月二十一日)が比叡山でいとなまれたときは保守派言論をふくめ全部が非難めいた主張だった。これは趣旨一貫しない。比叡山側だってどんな死者であれ供養法要してこそ仏教ではないか、というのがその主意で、気っ風のよい文章、明快な論旨、見逃しがちな話題を取り上げて社会の見方やものの考え方を示した著者らしい議論だ。
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震災の日、岡本綺堂関東大震災にまつわる随筆を読んだ。その一篇「風呂を買うまで」に「宿無しも今日はゆず湯の男哉」の句がある。震災で被災して麻布の仮宅に住んでいる頃だから「宿無し」は自身を指している。新しい湯にほんのりと匂う柚の香は震災このかた初めてほんとうに入浴したような気分にさせてくれた。綺堂にはそれほどうれしい柚湯だった。

柚湯、菖蒲湯いずれも季節の花々をあしらった湯屋の行事で綺堂は震災の年の十二月に麻布で柚湯を、翌年の五月に転居した大久保で菖蒲湯を浴びている。江戸通の綺堂が「柚湯、菖蒲湯、なんとなく江戸らしいような気分を誘い出す」と書くほどだから、その雰囲気は推し量られる。
加藤楸邨がはじめて句会に出たとき柚湯が出題されて「一杯の柚子湯を飲んでしまひけり」と詠んだ失敗談がある。風呂ではなく柚を絞ってお湯を注いで飲むものと思っていて大笑いされたという。この俳人にして江戸の湯は遠いものとなっていた。
もうひとつの菖蒲湯については吉井勇が北陸に旅して山中温泉で歌われていた民謡を採録したなかに「お前見染めた去年の五月、五月菖蒲の湯の中で」というのがあった。綺堂は菖蒲湯に男女の交情を寄せることはなかったが、時と場所によっては柚湯、菖蒲湯いずれも恋情を匂わせていただろう。
偶然にもこの夜、クリント・イーストウッドが最も影響をうけた一本と語る「牛泥棒」を観た。ムダをそぎ落としたシンプルな物語に重い課題、問いかけを含ませたところにジョージ・オーウェル動物農場』を連想した。マッカーシズムへの抵抗が込められているように思ったが戦時中の一九四三年に公開されている。
町に牛泥棒と殺人の知らせが伝わり、不穏な雰囲気の中で自警団が組織される。三人のカウボーイが捕えられ、自警団のなかでは私刑(リンチ)を是認する空気が支配的になる。司法手続きの必要を主張する者もいるが多数とはならない。見ているうちに関東大震災のときの自警団が二重映しになった。
主演のヘンリー・フォンダは事態を客観視できる目を持つ人物を的確に演じている。のちに「十二人の怒れる男」をプロデュースした背景、伏線に法の支配と司法手続きを無視した「牛泥棒」の問題提起に応えたい思いがあったのではないかと想像した。
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品川・新橋間の鉄道馬車が電車となって走り始めたのが明治三十六年(1903年)だった。明治二十六年生まれの獅子文六は当時慶應幼稚舎に在籍していて、よく電車を利用していた。その回想によると車内に広告はなく、注意事項が貼られてあり、なかの一つに「ふともも出すべからず」とあった。いまと違って明治の女が電車でふとももを露わにするはずはなく、これは紺の香の高い腹掛けを一着に及び下は六尺ふんどしという勇み肌の職人や魚屋の兄ィ向けの禁令だった。
勇み肌の兄ィでも爺ィでもないのにこのところ毎日通院してふとももを露わにしている。右足にすこし違和感を感じながらランニングを続けていたのが、先日いつものように途中でストレッチをして開脚から立ち上がろうとしたとき右ふともも裏(ハムストリングス)の筋肉に猛烈な痛みが来た。グルグル、バリバリと筋肉が破れたような感じで、挫傷と診断された。トレーニング厳禁で、まだリハビリにも入れていない。
二年ほど前だったか背中がひどい虫刺されに遭い、そのまま行きつけの飲み屋さんに入ったところ、さいわい薬があるとのことで塗っていただいた。子供たちには見てもしようのない親父の背中など見るものではないし、見せる気もないと言ってきたのにここで他人様に背中を見せるなんてまことに情けない思いがした。背中もふとももも思い通りにはまいらない。
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当面トレーニングの休止を厳命されている。それに近く海外旅行を控えているので支障のないようにしなければならない。そのためふだんランニングに充てている朝の一時間をジェレミー・ブレットのシャーロック・ホームズシリーズのうち見逃していた作品の視聴で過ごし、おかげで本シリーズ四十一篇をすべて観終えた。原作との対照では「マザランの宝石」と「三人のガリデブ」を合体して一話としているので四十二話が映像化されたことになる。コナン・ドイルの原作は長短篇あわせて六十話あり十八話が残された結果となった。1995年ジェレミー・ブレット六十一歳の早すぎる死が惜しまれてならない。

朝に観たDVDの原作は予定のない限り夕方の喫茶店で読んだ。日暮雅通訳の光文社文庫版を主に、必要に応じ小池滋ほかの訳で詳しい註釈の付く東京書籍版を参照した。今朝観た「マザランの宝石」は二つの短篇を合わせ、また旅行中のホームズに代わって兄のマイクロフト・ホームズが探偵を務めるというシリーズ最大の異色作だった。
原作ではマイクロフトの登場はなくホームズが事件を解決するのだが、ここで彼は犯人たちに隣室でヴァイオリンを弾いていると思わせて、秘かに犯人たちのいる部屋に移りカーテンに隠れて、話を盗み聞きする。楽器が鳴っているので安心していた犯人たちはそこにホームズがいると知り、あの音楽は何だと驚くと、探偵は最近できた蓄音機はすばらしい発明ですよと種明かしをする。こうしたイギリスの古典ミステリーに漂うのんびりした雰囲気は得難い。
マザランの宝石」は一九0三年の事件で、蓄音機はすでにレコードを再生する方式となっている。ホームズは最新の音響機器で犯人たちにヴァイオリンを弾いていると思わせていた。当然レコードは無伴奏のヴァイオリン曲でなければならず、原作には「ホフマンの舟歌」と記されている。そして東京書籍の詳注には、無伴奏ヴァイオリンによる「ホフマンの舟歌」のレコードはなく、あったとすればホームズ自身の吹込としか考えられないとある。ミステリーのなかに時代の細部をうかがうのは大きなたのしみだ。
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ジェレミー・ブレットのシャーロック・ホームズシリーズにつづいてホームズを観るとなるとベネディクト・カンパーバッチのシャーロックで決まりだが、エルキュール・ポアロシリーズの最終シーズンの放映がNHKBSではじまったから、デビッド・スーシェのポアロにも心惹かれる。二十五年にわたるポアロのシリーズががいよいよ大団円を迎えるのだ。これまでのDVDは買いそろえてあるが作品数が多くて視聴したのは二割にも届いていない。

BBCのドラマではおなじアガサ・クリスティ原作、ジョアン・ヒクソンミス・マープルのシリーズが十二作品と数が少ないので、まずはこちらにしようかとか考えたりして、思いは乱れっぱなしで、くわえて「ハウス・オブ・カード」「マジック・シティ」「ボードウォーク・エンパイア欲望の街」「エイリアス」などアメリカのテレビドラマが控えている。
本は読みたい、映画は観たい、そこへ現職中はほとんど無縁だった海外のテレビドラマの世界に迷い入ってしまって、整理がつかない状態になっている。トレーニングの許可が出ると朝のDVDは取りやめだからますます時間の捻出はむつかしくなる。永年のオモシロ世界の探求心はいや増すばかりだ。
「非常勤で勤められてはいかがです。完全退職となれば時間を持て余すでしょう」とお勧め下さった方もいらして、その親切には感謝いっぱいながら、とんでもございませんなのだ。