「ぼくを探しに」

ベルヴィル・ランデブー」や「イリュージョニスト」などで知られるフランスのアニメーション作家シルバン・ショメがはじめて実写の長篇ドラマを撮った。
その「ぼくを探しに」で、幼いころ目の前で両親を失くした衝撃と深傷から言葉を口にすることができなくなった青年ポール(ギョーム・グイ)が、おなじアパルトマンにいる謎めいた女性マダム・プルースト(アンヌ・ル・ニ)と出会い、過去の記憶の世界をさまよううちに成長と変化を遂げてゆく。いまふうに言えば自分探しと自己肯定の物語となるが、そうした言葉から連想される湿っぽさはなく、さわやかなそよ風を感じさせて、後味もさっぱりして快い。

ポールは二人の伯母が経営するダンス教室でピアニストを務めている。めざすのはクラシック音楽のコンサートピアニストだ。いっぽうで彼は言葉を失った激しいトラウマにどう向き合ってよいのやらわからず、とまどいと怖れを抱き続けている。そんなとき彼の前に現れたのが失われた時の記憶を掘り起こす力をもつというマダム・プルーストだった。
彼女の淹れる奇妙なハーブティーはポールを失神させ、現在の時間を遮断する。すると彼の心のうちにいつか見たプロレスごっこに興じている両親の姿やこれまで聞いたことのないカエルの楽団などの過去の記憶と幻想が映し出される。ここでは幻想は記憶と対立するものではなく、記憶を浮き彫りにする。
こうしてよみがえった記憶だが、物理的な尺度からいえば、あったかもしれない過去の断片でしかない。しかし失われた時を求めるということは過去の再現だけにあるのではない。ポールは、断片をもとに主体的、積極的に過去を織り上げていった。その作業をとおして、あったかもしれない過去のきれはしは将来の自分の可能性につながり、やがて彼は新たな人間関係とこれまで知らなかった音楽にめぐり合うことになる。
悲劇も挫折も不条理も避けられない世界のなかで「失われた時」の意味を探った幻想と感動の物語には映画ならではのポップな色彩感覚と素敵な音楽がまことによく似合う。
(八月八日シネリーブル池袋)