ピサのドゥオーモ広場で(伊太利亜旅行 其ノ三十八)

一九五三年須賀敦子はパリに留学したが当時の彼女には心からなじめる場所ではなかった。『ヴェネツイァの宿』には「夏休みには、イタリアに行ってみよう・・・・・・化石のようなアカデミズムにがんじがらめになって先が見えないままでいるよりは、もっと自然にちかい状態に自分を解き放ってみたい。あたらしい展開をとげるためには、強力な起爆剤が必要なようだった。イタリア語を勉強することによって、なにかが動くかもしれない」とある。
E.M.フォースター眺めのいい部屋』でルーシーはイングランドからイタリアに渡る。一九0七年のこととされている。作者は彼女の旅行について「太陽が万物を平等に照らすように、誰もがその気になれば生きる楽しさを得ることができるイタリアで、彼女のそれまでの人生は砕け散った」「彼女は新しい視野を土産に帰国した」と書いている。イタリアが人生にもたらしたものにおいて、須賀敦子とルーシーが二重に映る。