須賀敦子のヴェネツィア(伊太利亜旅行 其ノ五十四)

須賀敦子にとってヴェネツィアは夫ペッピーノが「きっといつか僕が連れて行くと約束した場所のひとつ」だったが、それを果たせないまま彼は早逝してしまった。彼女がヴェネツィアにやって来たのは夫が亡くなった翌年一九六八年の冬、偶然のきっかけで友人に誘われて訪れた。
写真はサンマルコ広場。ここのカフェでひとりコーヒーを飲んでいたキャサリン・ヘプバーンにロッサノ・ブラッツィが話しかけたのが「旅情」のふたりのなれそめだった。ただし須賀敦子ヴェネツィア紀行にこの広場は出てこない。はじめて訪れた季節が冬だったのも「旅情」とは対照的だ。映画の原題はSummertimeである。
須賀敦子は「旅情」とは別のヴェネツィアに視線を合わせていた。それはユダヤ人の集住するゲットー、インクラビリ(治る見込みのない病人)の病院、病の娼婦たちの収容施設などで、再訪の機会にはぜひ訪ねてみたい。