2018イタリア旅行(その三)

ローマにて。

サン・ピエトロ大聖堂コロッセオを見学したあとスペイン広場へ。

スペイン広場、トレビの泉、真実の口といったローマの名所をわたしが知ったのは映画「ローマの休日」を通じてだった。スペイン広場でのオードリー・ヘプバーンの王女は美容院でバッサリとショート・カット(ヘプバーン・カットと呼ばれておりました)にして、そのあとジェラートを食べていた。

下の写真はスペイン広場にあるバッグ店で、この日は日曜日で休店だったが、じつは「ローマの休日」で王女がショート・カットにした美容院はこの店を借りて撮影されており、映画ファンにとってはうれしいお店である。

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前回ここへ来たときは、辛口派のわたしは、ジェラートはまあ、いいか、とパスし、帰国して悔やんだ。そこで、今回は大げさにいえば「意を決して」ジェラート店に臨んだ。おいしかったなあ。

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このあとテルミニ駅周辺を散歩し、土産物の屋台で、「ローマの休日」や「甘い生活」など映画のシーンをあしらったエプロンを発見(5ユーロ)。夜、ホテルでゆっくり見たうえで僕的にお宝と認定した。

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ローマからナポリへ。夜のナポリを廻ったあとホテルへ。

翌朝はアマルフィ海岸をドライブした。退職してイタリアを旅するまでは、とくにこの国に魅せられていたわけではなかった。だからアマルフィという地は同名の映画をみるまで知らなかった。二00九年公開の「アマルフィ 女神の報酬」は映画の出来具合はいまひとつだったが、イタリアのロケは魅力で、あるいは無意識のうちにこれらのロケ地を訪れてみたいという気持を刷り込まれたとすれば、たいへんな影響をもたらしたといわなければならない。

美しい海岸、背後から迫る山。狭い土地に家を建て、それが上へ上へと建て増しされる。上に伸びた建物の密集を繋ぐのが階段と路地だ。断崖という地形、それと外敵の侵入を妨げる意図もあり、路地は複雑に入り組んで行く。それらが一体となって独特の景観が生まれる。

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午後はポンペイ遺跡を見学。ヴェスヴィオス火山が大噴火したのが西暦79年、街は大量の火山灰に埋もれ、火山灰に覆われたことで古代の街と生活のありさまが保存され、その復元と発掘はいまも続いている。

『イタリア紀行』によればゲーテは一七八七年三月十一日にポンペイを訪れており、「初めは石の雨、灰の雨に蔽われ、次いで発掘者に略奪されたこの都市の荒廃した今の状態」(相良守峯訳)と記していて、当時は相当荒れていたようだ。もちろん現在はそうした様子はない。

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ゲーテはまたこの地が埋もれた状況に考察をくわえている。

「この市とヴェズヴィオとの距離を考えてみると、この地を蔽った噴出物は投げとばされたり突風に吹き送られたわけではないらしい。むしろこういう石や灰はしばらくは雲のように空中に浮んでおり、最後に運の悪いこの市の上に降り来ったものと推定しなければならぬ」

この推論からすると、ポンペイの町はひととき火山の石や灰により完全に日射しがさえぎられて、あたかも皆既日食のような状況を呈していたと考えられる。

その灰に蔽われた場を発掘をするうち多くの不思議な形の空洞が現れたことから、石膏を流し込んで固めてから周囲の堆積物を取り除くと人型が現れた。

あるいはこの人はゲーテのいう、石や灰がしばらくは雲のように空中に浮んでいたあいだ、考えごとをしていたのかもしれない。

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十二月五日ナポリのホテルを出て、ナポリ空港からローマ空港へ、そうして成田空港へと帰国の途についた。

帰りのローマ空港での一場面。

手荷物検査のプラスティックのボックスを整理する担当職員がいたがコンベアで流れてくるボックスに触れることなく、少し離れたところで見ているだけ。やむなくボックスの整理はわたしたち乗客の業務となり、おなじツアーに参加していた女性が「誰の仕事なのよ」と怒りを口にしたが日本語はわからなくてもその意思は通じたと思われるが、柳に風とやり過ごしていた。

空港の職員の仕事ぶりからイタリア人の勤労度を推し量るのはまちがっているけれどイメージとしては残る。ロシア民謡の「仕事の歌」に「イギリス人は利口だから水や火などを使う、ロシア人は歌をうたい自らをなぐさめる」とあったが、イタリア人の歌詞があればどんなふうになるのかな。

イタリアはともかくとして、わたしは世界史が好きで、キリスト教イスラム教の交叉するところを主に旅をしてきたが、望むところはほぼ訪れた感がある。ついでユダヤ教イスラム教とが交わるところへ行きたいのだがヤバさと金目の問題があり、どうなることやら。