「さよなら、アドルフ」

「食糧を分けてもらいたいんです。お礼の品は持ってきていますから」
農家の入口で懇願する十四歳の少女ローレに主婦が「お母さんはいるの」と訊ねる。「もちろんです」と答えると相手は怪訝な目つきで「刑務所にいると思ってたわ」と口にする。
それでもこのときは食糧を分けてくれた。つぎにノックをしたとき農家はドアを開けなかった。母親は祖母の家に行くよう言い置いて連合軍に出頭したため家にはローレと弟妹たちだけが残された。

ローレの父母はナチの幹部だった。敗戦により高官の父が、ついで母が連合軍に拘束収容され、ローレは幼い妹弟たちを連れて九百キロ離れたハンブルクの母方の祖母の家へと向かう。
恵まれた家庭の崩壊は子供なりに信奉してきたナチズムという信念に基づく精神世界の動揺であり、不安と恐怖につつまれ食料の確保さえままならない過酷な旅は両親を含むナチの残虐を知る旅でもあった。
ヒトラーの子供」に刻まれた傷跡とその後の人生という重い問題を真摯に描いた映画だ。もとよりテーマが映画の質を担保したりはしないけれどこの作品は連合軍に分割占領された敗戦直後のドイツとそこに生きる人々の心象風景をふくむ姿をしっかりとらえていたと思う。
監督はケイト・ショートランド、脚本は同監督とロビン・ムケルジーのふたり。
ケイト・ショートランドオーストリアの女性監督。オーストリア人がこうした映画を撮った胸の裡を問うてみたい気がする。
いささかの不満を言えば説明不足でわかりにくいシーンが何カ所かあった。たとえば森のなかの一軒家にある惨殺死体がナチの蛮行それとも占領軍による犠牲なのかがはっきりしない。旅の途次、死亡したユダヤ人の身分証を身代わりとして持つ青年がローレたちを助けてくれるのだが、この青年がどのような思いからドイツ人の子供たちに援助の手をさしのべたのかの掘り下げが弱く、解釈にとまどい隔靴掻痒の感を覚えた。もっともこれは自分で考えてほしいと意図されたものだったのかもしれない。
(一月二十日シネスイッチ銀座