トポグラフィー・オブ・テラー博物館で

ゲシュタポ本部の遺構のまえに建つのがトポグラフィー・オブ・テラー博物館だ。テロの地勢図の博物館にはナチの恐怖政治の爪痕を示す写真やパネルが掲示され、その横にドイツ語と英語の解説文が添えられている。三枚の写真は同館で撮ったもので、これだけで時代相が浮き彫りになる。

ナチの遺跡をめぐる旅ではさきごろ読んだ『15時17分、パリ行き』(田口俊樹、不二淑子訳、ハヤカワ文庫NF)におもしろいエピソードがあった。
二0一五年年八月二十一日、十五時十七分にアムステルダム駅を出発し、パリに向かっていた列車内で、武装したイスラム過激派の男が企てたテロを三人のアメリカ人の若者が未然に防ぎ、五百人を超す乗客を救った事件はクリント・イーストウッド監督が「15時17分、パリ行き」として映画化し、日本でもよく知られるようになった。
アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンの三人は映画に主演するとともにみずからの体験をジャーナリストのジェフリー・E・スターンをくわえた四人で著しており、それが前掲書である。
ヨーロッパを旅行中の三人はヴェネツィアの古い石畳やベルリンのホロコースト記念碑、十八世紀に王の命令で建設されたブランデンブルク門などを興味深く見て廻った。ともに歴史が好きで「歴史こそが三人を最初に結びつけた共通項だった」。
かれらが困惑したのがベルリンでヒトラーが自殺した総統地下壕(フューラーブンカー)を訪れたときのことだった。というのも三人は、ヒトラーアメリカ軍が攻め込んだとき別荘また隠れ家としていた「鷹の巣」(イーグルズ・ネスト)で自殺したと思っていたから「えっ?」となったわけだ。
その話をガイド氏にしたところ「それはあなたたちの教科書がまちがっています」「ヒトラーは自殺したとき、妻のエヴァと一緒にこのフューラーブンカーにいました。ちなみに攻め込んだのはソ連軍です。悪が倒されたときにはいつでもアメリカ人の手柄になるわけじゃありません」との答えが返ってきた。ヒトラーの自殺について三人がどうしてそんなふうに信じ込んでいたのかはよくわからないが、ヒトラーを倒したのは「アメリカ・ファースト」ではないとやんわりとたしなめるガイド氏の話は味がある。
かつての恐怖政治の中心部にあって歴史を知り、ときにそれまでの知識を見直し、修正する……トポグラフィー・オブ・テラー博物館、ゲシュタポ本部遺構、総統地下壕(フューラーブンカー)はそうしたトポグラフィーでもある。
なお1881mのケールシュタイン山の頂上にあるヒトラーの別荘を「鷹の巣」(イーグルズ・ネスト)と名付けたのはドイツを占領したアメリカ軍で、そのためかアメリカではたいへんよく知られたドイツの観光スポットとなっている。ここから眺めるアルプスは絶景だそうだ。
15時17分、パリ行き』の三人がヒトラーの自殺の場所をここと思い込んでいたのはよく知られた地であることと関係しているかもしれない。ベルヒテスガーデンの町にある「鷹の巣」の名称はたしかに「アメリカ・ファースト」だった。
ガイドブックにはバスとエレベーターで容易に行けるとあるが、ヒトラー別荘のころは山肌を刻んだヘアピンカーブの道を十六キロ登り、岩をくり抜いた長い地下道をたどり、百二十メートルのエレベーターでようやく着いた。それだけ近づくのはむつかしかった。