「横道世之介」

横道世之介という若者が法政大学に進学する。八十年代の後半のこと。お人好しですこし不器用、猪突とか猛進とかとは真逆、名前の通りちょいと横道へ入ってのんびり、おだやかに時を過ごしているといったタイプだ。
高良健吾が扮した長崎県の港町出身の若者は入学式でとまどっているうちに声をかけてきた倉持一平(池松壮亮)や新学期の学食で誰かとまちがえて声をかけてしまったらしい加藤雄介(綾野剛)とおなじ新入生どうし友人になる。年上女性の片瀬千春(伊藤歩)にあこがれ、富豪の社長令嬢与謝野祥子(吉高由里子)と親しく交際するようになる。

描かれているのは大学生となった世之介と彼を知る少数の男女とのごく日常のインティメイトな関係で、時間と場所をともにしたいくつかの断片が世之介の人生をコラージュふうに構成する。
そうするうちにつきあいのあった仲間が十数年ののちに世之介を思い出すシーンが挟まり、観客はここではじめて彼がすでに逝ったことを知る。
この歳月に世之介と仲間たちに何があったのか。どうして世之介は亡くなったのだろう。亡くなったとき彼はカメラマンになっていた。それにはどんないきさつがあったのか。といったふうにいくつかの疑問がそっと差し出される。
明らかにされた疑問もあるが、なかにはそのままにされたものもある。謎解き物ではないし、人生とはそうしたものなのではないか。吉田修一の原作がどうなっているかは知らないけれど、大学を出てからの世之介や仲間たちの生活はほとんどは観客の想像に任される。
友人たちはときどき何かのきっかけで世之介の記憶を呼び戻す。そうしてあのころ思っていた以上にたのしくていい人だったと振り返る。若くして亡くなった者へのはなむけや追従ではない。たまたま過去が心によみがえり、そこにちょっぴり魅力の深みを増した世之介に気付く。
思い出の総量が増えるとともに人は、至らないところは多々あったが、まあそれでもいいほうじゃなかったかなんて思いがちだ。しかし往々にして自己採点より他人の採点は厳しく、自分が思っているほどいい人ではない。世之介のばあい自己採点よりすこしだけれど他人の採点が上回っているみたいだ。
「母親として世之介といっしょにいられたことが、私のこの世での最高のよろこびでした」と母(余貴美子)が与謝野祥子に宛てた手紙に心うたれた。
監督は沖田修一。「南極料理人」「キツツキと雨」そして本作に通底するゆるやかな時間の流れに惹かれる。
(三月六日シネリーブル池袋)