春分の日の高尾山

春分の日、高尾山へ登った。凄腕の人たちが企画立案してくれているので時間、行程、予算等はすべてお任せ、自分でやっておくことはなんにもなくほんとありがたい。
千代田線根津駅八時一分発に乗り、新御茶ノ水=小川町で京王線乗り入れの都営新宿線に乗り換えると十時前に高尾山口に着いた。この直通線は一日数えるほどしかないらしく手際のよい合理的旅程に驚いてしまう。

天気は崩れやすいという予報があったためか思ったより人出はすくない。けっきょく予報はよい具合に外れてハイキング中に降雨はなく、新宿での打ち上げのあとちょっとぱらついた程度だった。
山頂に十三州大見晴台という石碑があった。599.15mの標高からの眺めは駿河、甲斐、信濃、越後、上野、下野、常陸、上総、下総、安房、相模、伊豆、武蔵の十三州に及ぶ。
一汗かいたあと、茶店で蕎麦と生ビールでしあわせのうるおい。

ことしは急に暖かくなったため上野の桜ははやくも満開となったが山頂の桜はまだ途上で可愛くけなげである。この季節、入学式、卒業式、人事異動といろいろ思いを致す場面は多いが、小生同様すべてお任せのこのお人にとって気がかりなのはペナントレースの開幕で、それを前にしてデイバッグに趣向を凝らすのを忘れない。
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時間を稼ぐために山下りは傾斜のきつい道を選択してあった。
下っていると道脇にお地蔵さんがいる。

道ばたにお地蔵さんの姿を見るたびに永井荷風『日和下駄』の一節を思い出す。
「路傍の淫祠に祈願を籠め欠けたお地蔵様の頸に涎掛をかけてあげる人たちは娘を芸者に売るかも知れぬ。義賊になるかも知れぬ。無尽や富籤の僥倖のみを夢見ているかも知れぬ。しかし彼らは他人の私行を新聞に投書して復讐を企てたり、正義人道を名として金をゆすったり人を迫害したりするような文明の武器の使用法を知らない。」

山を下りたところで弁天橋の風景にうっとりしたあと相模湖へ廻るとカヌーの練習風景が見えた。紅葉の頃に来ると湖に背後の山が映えていっそう美しいだろうなと思いながら相模湖駅から立川駅へ、ここで中央線特快に乗り換え五時過ぎに新宿着、そして充実の打ち上げのあと帰宅した。
この日、人事異動関係のメールを何通かいただいた。留任、転勤、昇任等のお知らせに、そうだ在職中はこの日に異動の発表があり、あれこれあわただしかったのを思い出した。去年はまだ意識していたが退職二年目のことしは山登りもありまったく念頭になかった。陶淵明を気取っていえば宮仕えという塵網の中から脱け出して山に遊んだ一日である。