「らくだ」

古典落語に「らくだ」というはなしがある。
長屋中の嫌われ者で、らくだというあだ名の男がフグにあたって死んだ。たまたまその家を訪ねた兄貴分が死体を見つけたところへくず屋が通りかかる。
兄貴分はくず屋を使いっ走りにして、やれ香典だ酒だと大家や店子から無理矢理せしめて持ってこさせ、その酒をくず屋に振る舞うのだが、はじめはおとなしかったこの男が酒がはいると開き直り、とうとうこわもての兄貴分を辟易させるまであたり散らす。
酔った二人はらくだの死骸を四斗樽に入れて、くず屋の知り合いがはたらく落合の火葬場へと運ぶ。ところが着いてみれば死体はない。とちゅうで落っことしたらしい。あわてて引っ返して拾いに行くとうまい具合に見つかったので火葬場へ持ってきた。しかしらくだの死骸と見たのは酔っぱらって道に寝ていた願人坊主だった。
「あちちちィッ、ここはどこだ」「火屋だ」「ヒヤでいいからもう一杯呑みてえ」というのがさげ。


はじめは「らくだの葬礼」という上方の噺だったのを、四代目桂文吾から口伝された三代目柳家小さんが東京に移し替えた。
夏目漱石三四郎』に「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ」とあるあの小さんである。

小さんの原型がどのようなものかはわからないけれど、古今亭志ん生の「らくだ」ではくず屋が兄貴分に酒をつがれて呑んでいるうちに、らくだの頭の毛をむしり取って坊主にしてしまう。どうせ極楽に行ける野郎じゃないけどもと言いながら、髪の毛を指に巻きつけてむしりとる。酒を口に含んでプーと霧にしてらくだの頭に吹きつけ、またむしる。
本来の作法は剃髪だからずいぶんと荒っぽいおこないだが、死者を坊主にするのは「三年目」にもあり、ここでは亡くなった若妻が頭を剃られて葬られる。臨終の床で妻は自分の死後に夫が別の女に取られてしまうのがくやしいと言い、夫はきっと再婚はしない、そんな話のあった日には幽霊になって出ておいでよと語る。やがて夫は親戚からの縁談話を断りきれずに再婚し子宝にも恵まれる。幽霊になって出るはずの亡妻は出て来なかった。ところが三年目にしてとつじょ現れる。訊けば、坊主のままでやって来たのではあなたに嫌われると思ってというのがさげ。
死者の頭に剃刀を当てる風習は遅くとも明治のなかばくらいまでだろうと勝手に推測していたところ、徳田秋声が姉の死を機に金沢に帰省したときのことを書いた「町の踊り場」の葬儀の場面に「『もうそのくらゐでよからう。』兄がふつと言つたので、私は気がついてみると、姉のこちこちした頭髪は綺麗に丸坊主にされてしまつた。」とあり、一九三三年(昭和八年)に発表されたこの短篇小説からはじめて地域によっては戦前にも行われていた風習だと知った。
話題を落語に戻そう。
らくだを坊主にするについて古今亭志ん生は「屑屋がらくだの頭の毛をむしり取るでしょう。アレで特殊部落の人間だてえことがわかって、らくだの兄弟分がびっくりする。『らくだ』てえはなしは、なくなった可楽も売り物にしていたが(中略)ただ、あの人ァ、頭の毛を剃刀でそぐようにした。その辺のところが研究なんです」と語っている。(『志ん生芸談河出文庫
ここで志ん生が口にした「特殊部落」は現在では差別用語と受け取られているが、もともと蔑みの用語として生まれたものではなく、ここでは「被差別部落」の謂で用いられており、文脈の上からも問題はない。
この志ん生の解説文を読むと「らくだ」は、はじめこわもてに出ていた兄貴分が、おとなしいと見えてじつは酒ぐせが悪いくず屋にてこずってしまうだけの話ではないのがよくわかる。
平岡正明は『志ん生的、文楽的』(講談社文庫)に収める「志ん生「らくだ」と老舎『駱駝祥子』」のなかで「久蔵のアナーキズムは酒の勢いだとは思わない。屑屋久蔵の社会的疎外感が爆発したのである」と述べているが、この社会的疎外感はくず屋に対する差別的なまなざしとともに身分制度が関係していたのである。
くず屋が死骸の頭髪をむしりとるのを見た兄貴分は彼を穢多身分と知り、そこに差別やこわいといった感情がはたらいて、これを機に二人の関係は変化してゆく。
正岡容『寄席囃子』(河出文庫)に収める「らくだ」に、戦時中、古今亭志ん生が正岡を訪ねて談たまたま「らくだ」に及んだときの話がある。
このとき志ん生は朝寝坊むらくの「らくだ」を話題にした。酔っ払ったくず屋が、らくだの髪の毛を剃刀が切れないからと手で引っこ抜く、そうして酒を呑もうと茶碗を見て「ア、髪の毛がありゃアがら」と言って茶碗のなかの数本の長い毛を片手で押さえたままグーッと煽る、これでらくだの兄弟分は圧倒されてしまう。この八代目むらくの「らくだ」を志ん生は高く評価していた。

正岡容(写真)はまた、落合の火葬場にいるくず屋の友人を「隠亡」として、二人はおなじ被差別身分の友人というあいだがらだったという事情をあきらかにしている。「隠亡」(おんぼう)すなわち火葬場において死者を荼毘に付し、遺骨にする仕事に従事する人で穢多身分がなりわいとしていた。
わたしはくず屋が落合にある火葬場の友人のところへ行くくだりでかれらの身分が気になったが、志ん生の解説でようやくはっきりしたし、同時に「らくだ」という噺の性格がよく理解できた。
志ん生芸談』所収のこの解説は一九七0年八月に立風書房より刊行された『志ん生長屋ばなし』に載せられた「ごあいさつ」が初出である。いま『志ん生長屋ばなし』はちくま文庫に入っているものの「ごあいさつ」は割愛されていて、その措置は「らくだ」の鑑賞を大きく妨げていると思う。
これを収めた河出文庫の識見を高く評価するとともに、ちくま文庫の割愛を疑問とせざるをえない。割愛の経過や理由は不明だが「特殊部落」という語への危機管理対応ではなかったか。こうした落語鑑賞のうえでの重要な視点について身分制度や差別問題にかかわるからと避けて済ますことでよいのだろうか。あえて問題提起としておきたい。