「終の信託」

このあいだまで死の基準は心臓とされてきた。心臓の停止は心拍の停止、呼吸の停止、瞳孔の拡大を伴っており、これらで以て死の認定を行っていた。ところが脳死も死の認定基準にくわえられた。だから、いま死の認定はダブルスタンダード状態にある。
人工呼吸器は脳死を生んだ。脳死状態で取り出された臓器は移植可能だからおのずとつぎには臓器移植が医療のテーマとして浮上する。見方によれば政治権力と医療権力がいっしょになって臓器移植をやりやすくするために死の認定基準を操作したと映る。
もっとも「終の信託」における死は心臓死でも脳死でもなく、終末期医療で人工呼吸器を外した行為によるものだ。これを医療過程における条件によってはありえてよいスタンダードと考えるかどうか、周防正行監督の新作はその可否をめぐるドラマだ。

百四十分余の長尺は緊張とともに過ぎる。とりわけ人工呼吸器を外した行為をめぐって、終末期医療に専念するなかでのしかるべき決断だったとする医師折井綾乃(草刈民代)と殺人罪を適用しようとする検察官塚原透(大沢たかお)との緊迫したやりとりには目を瞠らされた。
周防監督の問題意識は、法律の世界と物理的な現実との異同という点にあると考えられる。双方の世界のズレをドラマ化したという点では前作「それでもボクはやってない」と共通している。
重度の喘息で苦しむ患者江木秦三(役所広司)は主治医で信頼する折井綾乃に、最期のときは早く楽にしてほしいと懇願し、綾乃はそれを受け容れる。彼女は同僚の医師高井(浅野忠信)と長く不倫関係にあったが、別れを告げられ失意のあまり自殺未遂騒動を引き起こしたことがあり、そのあとそれとなく慰めてくれたのが江木だった。
やがて心拍停止になった江木が病院に搬送され綾乃は約束の実行かそれとも延命治療の継続かの選択を迫られる。実行となれば家族の承認も得なければならない。
通常では病院全体で意志決定をすべきことがらだ。しかしそうすればスキャンダルになる可能性も考えられ、病院経営のうえからはリスク回避をして延命治療継続の決定になるのは明らかで、それでは患者の願いは叶えられない。こうして彼女は単独で治療を打ち切る。
人工呼吸器を外した途端、江木は激烈な苦痛に襲われ、綾乃は看護師が疑問を覚えるほどの量の鎮静薬を用いなければならなかった。彼女には想定外の事態だったと思われる。
脳死状態にはなく、安楽死として患者の人工呼吸器を外した行為は、三年後、刑事事件に発展する。
医師は終末期治療をめぐる法律、制度を承知し、かつ病院のリスク回避の方針も見越した上で治療を打ち切った。その意味では確信犯である。確信犯としての決断は彼女自身の自殺未遂体験が影響している。わたしの理解力が及ばなかったためかもしれないけれど、不倫の破綻による自殺未遂の苦しみを体験した医師が、患者の人工呼吸器を外すにいたるまでの考え方や心理上のプロセスの描写が弱い。高井と綾乃のセックスも結構だが、それよりもここのところを掘り下げてほしかった。
(十一月一日TOHOシネマズ日劇