中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ二)

ブダペストからウィーンへ二百四十キロの行程をバスで移動。ハンガリーオーストリアとの国境には検問もなく職員の姿も見えなかった。しかし冷戦期にはここが東西ヨーロッパを分かつ境界線、欧州の三十七度線だった。そんなことを考えているうちにウィーンのシェーンブルン宮殿に到着。
マリー・アントワネットがここに滞在しているとき、招待された当時六歳のモーツァルトが宮殿内で転び、アントワネットが助け起こしたところ「僕と結婚して」とプロポーズしたという伝説がある。
モーツァルト大好き、映画大好きのわたしが思い浮かべたのはこの話と懐かしの名画「会議は踊る」だった。
ナポレオンのエルバ島流嫡を承けて、オーストリア宰相メッテルニヒが開催したウイーン会議の会場となったのがこの宮殿で、欧洲の覇権を握ろうとする各国の策謀と古き良きウィーンの情緒あふれる雰囲気のなかでロシア皇帝と手袋屋の娘のお忍びの恋が描かれたオペレッタ映画の名品だ。
  
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シェーンブルン宮殿(写真左)でおよそ二十室を見学、引き続きベルヴェデーレ宮殿(写真右の二枚)を経てウィーン市街へと向かった。

かつてのウィーンは映画都市だった。「会議は踊る」のほかにも「未完成交響楽」「たそがれの維納」「ブルク劇場」等が第二次大戦前の古典的名画としてよく知られている。現代でわたしが注目しているのは「白いリボン」のミヒャエル・ハーネケ監督、といってもここではそこまで話を広げる余裕はない。
この都市には歴史的な建築物がいたるところにあり、これを用いるとたちまちウィーン情緒が奏でられる。かつての名画には必ずといってよいほど伝統ある建築物が使われていた。
  
それぞれのロケ地を訪れてみたい。ところが今回のウィーンでの自由時間は二時間しかない。それは承知していたので東京を発つときわたしは第二次大戦後まだ米英仏ソの四カ国に占領されていた時代のウィーンを舞台としたイギリス映画「第三の男」に照準を定めていた。むかし大塚名画座で観て、感動のあまり翌日も大塚へ急いだ思い出がある。
原作者であり脚本を担当したグレアム・グリーンはノヴェライズした『第三の男』を監督のキャロル・リードに献呈し、そこに「尊敬と愛情と、そして、〈マキシム〉や〈カザノヴァ〉や〈オリエンタル〉で過ごした数々のウィーンの早朝の思い出を込めて。」との献辞をしるしていて、いま〈マキシム〉や〈カザノヴァ〉や〈オリエンタル〉といったキャバレーはどうなっているのか、見ないではいられない。けれどごくわずかの自由時間しかない。
そこで妥協に妥協を重ねて三カ所の訪問地を定めておいた。この映画で、米国からやって来た作家のホリー・マーティンズ(ジョセフ・コットン)が滞在するザッハー・トルテで有名なザッハー・ホテルとそこにあるカフェ・モーツアルト、つぎにハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)がマーティンズに「イタリーではボルジア家三十年の圧政の下に、ミケランジェロダヴィンチやルネッサンスを生んだ。スイスでは五百年の同胞愛と平和を保って何を生んだか。鳩時計だとさ」との映画史上屈指の名せりふを口にするプラーター公園の大観覧車、そしてラストでハリーの恋人アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)がマーティンズに一瞥もしないまま去って行く中央墓地の並木道の三カ所で、予習もしないままタクシーで行けばなんとかなるだろうと勝手に思いこんでいたのだが、現地でガイドさんに訊ねると、二時間ではとても無理、タクシーで観覧車か墓地かどちらかだっら可能とのお答え。

うーん、夕刻六時の集合はラッシュと重なる時間帯なので遅刻の不安がある。こうなればウィーン再訪だ!というわけでクリムトを見に行くつれのお仲間を見送ったあと街の散策とザッハー・ホテル、カフェ・モーツアルトに向かったのだった。
  
カフェ・モーツアルトでカフェラテを注文したついでに「第三の男」に魅せられてここに来たと言ったところ、黒のタキシード、蝶ネクタイのウェイターがせっかくの機会ですからモーツアルト・ケーキはいかがですと言ってくれたものだからこちらも併せて注文。
下の写真左の二枚はザッハーホテルのホリー・マーティンズ。右の一枚はハリー・ライムの仲間クルツがカフェ・モーツアルトでマーティンズを探しているところ。原作には「クルツです。あなたのところへ伺いたいんですが、ご承知のように、オーストリア人はザッハーへ入れませんのでね」というせりふがあり、待ち合わせの場所がカフェとなる。

カフェでハヤカワ文庫の小津次郎訳『第三の男』を開いたところ、小説のアンナ・シュミットはハンガリーからの難民とされていた。映画ではチェコからウィーンへやって来たことになっている。というわけで彼女は今回の旅の三カ国と映画、ミステリをすべて繋いでいたのだった。
写真はカフェにあった「第三の男」関連の掲示