西郷さんの犬


上野公園を散歩しながら西郷さんの銅像の写真を撮ってきました。
このあいだ読んだ丸谷才一『人形のBWH』(文春文庫)にある「犬と人間」というエッセイに、この銅像の犬の名前ごぞんじですかとの問いかけがありました。
たしか「ツン」だったでしょうと胸の裡で答えたところ正解は「カヤ」だという。おやっ、たしか以前に読んだ丸谷先生のエッセイに「ツン」とあったんだけどなあ。
とりあえずそこは措いて読み進めると、犬好きだった西郷隆盛の飼い犬の名前の一覧が載っていて、「クロ」「カヤ」「ツマ」「ブチ」・・・・・のなかに「ツン」の名前も見えているから、わたしのまったくの記憶違いでもなさそうだ。

むかし上野の銅像の犬の名前は「ツン」とメモ帳に書いたおぼえがあったものだから(ずいぶん下らないことを記したメモだとお思いでしょうが、その通りなんです)繰ってみるとたしかに「ツン」とあり、丸谷才一『軽いつづら』「名犬のこと」と書名、作品名も添えてありました。西郷夫妻が兎狩り用に飼っていた薩摩犬の牝だそうですが銅像は牡犬として彫られています。
以前に「ツン」とされていたのがじつは「カヤ」だったのであれば実証主義歴史学の成果なんですが、そもそも「ツン」であれ「カヤ」であれその考証の過程はどのようなものだったのでしょう。
じつはわたしのメモにはあの犬の名前についてもうひとつ「寅」という説も書いてあります。山本茂『本の愉悦』(現代教養文庫)で紹介されていて、種本は杉田幸三『幕末ものしり読本』(廣済堂文庫)とあります。ちなみにさきほどの飼い犬一覧には「寅」あるいは「トラ」の名はありません。
「ツン」と「寅」と「カヤ」のほかにもまだ説があるかもしれず、いずれにせよいまのところ断定できる材料は持ち合わせません。せめてそれぞれの名前の典拠となる文献史料だけでもわかるとよいのですが。
ところで高島俊男『お言葉ですが・・・7 漢字語源の筋ちがい』にある「ジュードーでごわす」によると西郷さんのほんとうの名は「隆盛」ではなく「隆永」だったそうです。通称の吉之助が通用していて「隆永」のほうはあまり知られていなかった。明治になって国元の役場に名を届けたときは友人が代行して「隆盛」で届けたものだから、こちらが本名となった。その友人は、西郷はたしか「リュウエイ」とか「リュウセイ」とかいっていたなとうろおぼえの音読みで後者にした結果「隆盛」となったのではないかと高島先生は推測しています。
ひょっとすると泉下の西郷さんは「おいどんは自分の名が『隆永』から『隆盛』になりもうしてもなんのこつごわせん。犬の名が『ツン』でも『カヤ』でもよかじゃなかとですか」とおっしゃっているかもしれませんけれど、歴史好き、西郷ファンはおろそかにはできません。