What is life without love and whisky?

幕末佐倉藩の江戸留守居役で明治の文人、依田学海の日記『学海日録』を読んでいると、ときに、気のおけない仲間とともに花を愛でながら一献傾けるといったうらやましくなる酒の場面が出てきて、思わず口許がほころぶ。
明治四年七月朔日、学海は友人二人と広尾の笑花園に遊んだ。江戸時代、広尾は大名の下屋敷や旗本屋敷の多いいっぽう、広尾の原と呼ばれて尾花茂る野趣を湛えた地でもあった。明治四年といえば市電はもとより馬車鉄道も通っていない。
この日、学海ら三人は朝、園に着いた。さわやかな朝風が吹き、ひまわりやおみなえしの花が咲いて、心地よくほほえんでいるように見えた。木陰はすずしく池のほとりに小亭がある。ここで三人は語らい、歌や詩を詠んだ。
学海に同行した友人はこの十年ほどはなかった出遊だとよろこんでいる。やがて三人は持参したわりごを開き、酒を出し、ゆっくりゆっくり酌み交わし、日が西に傾くまで遊んだ。
学海は要職にあった人だが、たくさんの人が出入りするのが好きでなく、終日本を読んでいるほうがのどかでよいといい、こんな和歌を詠んでいる。
 「うきしづむあらき波路をよそにして世のまじはりをけふ忘れ貝」
このような性格だったから親しき友と花を愛で語らいながらの酒がよけいいとおしかったであろう。

さきの広尾での小宴のふた月ほど前には数人の友人と堀切に菖蒲を見に行っている。ここは広重が「名所江戸百景」に描いたところだ。菖蒲の花はややさかりを過ぎていたが青葉がきれいで目が醒める心地がするほどだった。やがて一行は隅田川沿いの木母寺のあたりで酒にした。親しい友との語らいに鳥の声、水の音、かわずの鳴く声が花を添えて幸せな気分が横溢している。

もうひとつ美しい酒だなあと感じ入ったのに、三島由起夫が『花ざかりの森』を出版した際の記念会がある。
昭和十九年初冬、旧制高校を戦時特例で短縮して卒業し、大学生になったばかりだった当時十九歳の三島はいつ来るかわからぬ赤紙を覚悟していたこの時期に、思いがけず短編集の出版が実現することとなった。
三島の父親は息子の文学熱に終始一貫反対していたが、兵隊にとられて死んでしまうかもしれぬ息子を不憫に思ったのだろう、許可をあたえた。
「私は何よりも、自分の短い一生に、この世へ残す形見が出来たことを喜んだ」とは三島の感懐である。
戦争中のこととて用紙もままならないなかで七丈書院から四千部が刊行され、当時上野池之端にあった雨月荘で出版記念会が開かれた。
学習院の清水文雄教授をはしめとする三島の学習院時代の恩師、装幀にあたった徳川義恭、出版にあたって奔走した富士正晴、三島が参加していた同人誌「文藝文化」の同人が出席し、三島と母親が主人役をつとめた。
この夜の記念会をのちに三島はつぎのように回想している。
「灯下管制のきびしい冬の夜、奥まった雨月荘の一室で、灯火に先輩知友にはげまされた一夕の思い出があまり美しいから、私にはその後、あらゆる出版記念会はこれに比べればニセモノだと思われ、私のために催してくれるという会を一切固辞して、今日に及んでいるくらいである。」
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以下は野暮と無粋を承知の付け足し。
依田学海や三島由紀夫の美しい酒の対極にあるのが政治家の資金集めのパーティであろう。酒の場を借りて、衆を恃んで参会者をふやし、売名と金もうけと権力誇示の場にする醜悪さと愚劣さには目を覆いたくなる。