「踊子」

日本映画専門チャンネルで「踊子」を観た。永井荷風原作の未見の必見映画だったので、まことにうれしい。
舞台は浅草、路地裏にある六畳一間のアパートに山野(船越英二)と妻の花枝(淡島千景)が生活している。山野は小さなレビュー劇場のバイオリン弾き、花枝は踊り子だ。そこへ花枝の妹、千代美(京マチ子)が上京してやって来る。田舎でバスの車掌をしていたのがしくじったらしい。肉感的な千代美は姉夫婦からレビューの踊り子に勧められ、振付師の田村(田中春男)の指導を受けて姉とともに舞台に立つようになった。ダンスが上手でグラマラスな肢体の千代美は芽が出かかるが、田村とも義兄の山野とも関係し、やがて妊娠して女の子を出産した。
花枝は夫と妹の関係を知って嘆き悲しんだが、自分たち夫婦が子宝に恵まれていないことから千代美の生んだ雪子を引き取って育てることとした。(父親は山野か田村かどうも判然としないけれど、田村なんだろうねえ)

いっぽう千代美は踊り子を止して芸者になり、そのうちにお妾として囲われる。そうした折り、山野と花枝は住み馴れた浅草を離れて山野の実家に帰る決意をする。
半年余り経ったある日、パトロンと別れた千代美が花枝に会いにやって来る。夫婦は山野の実家であるお寺が経営する保育園ではたらいている。保母さんとなった花枝は雪子を千代美に会わせようとするが、千代美はそれを断りそっと帰って行く。山野は姉妹の再会を知らないままに園児に囲まれてオルガンで「むすんでひらいて」をひいている。
「踊子」は一九五七年(昭和三十二年)の大映作品。
荷風の小説と映画の関係を一言添えると、昭和十三、四年の話の小説を映画は戦後に置き換えている。また小説では山野夫婦が浅草を離れるのは雪子の死がきっかけとなっており、二人は浅草を離れてなお懐旧と悔恨の涙に暮れている。映画は山野夫婦が新しい生活に踏み出している姿を描き、千代美にもかすかな希望が見えている。田中澄江の脚本は映画向きによくアレンジされているとおもう。
小津安二郎をして天才と言わしめた清水宏監督だが、この頃は調子を落としており、演出のテンポもよくない。古風な花枝と奔放な千代美の対比に掘り下げはなく、千代美をめぐる色模様も平板だ。されどこの映画は魅力的。なによりも昭和三十年代はじめの浅草の風景がノスタルジックで眼と心に沁みる。


「踊子」の原作者は〈裏町を行かう。横道を歩まう。〉と『日和下駄』に書いた。下の写真にある浅草の陋巷には山野と花枝が住んでいる。いつかどこかで見た景色のようにおもえて来ませんか。


浅草の風景とともに、その浅草を去る山野と雪子を抱いた花枝が一夜、お好み焼き屋で酒を酌み交わす場面がしみじみとして心に残る。

「いざお別れとなるとなんだか名残惜しい気がするわ、浅草も」
 「うん、細々ながら十年ここで生きてきたんだものな」
 「長いようで短いような十年だったわ」
 「きみにもずいぶん苦労かけたよ」
 「どういたしまして。たのしいこともございました」
 ・・・・・・
 「これで千代美がしあわせになれたらね」
 涙ぐむ山野を見て「泣いてんの」
 「水っ洟」
ここのところの淡島千景の演技がすばらしく、柔和な気質で控えめな女の情感にほろりとさせられる。さすが「夫婦善哉」(一九五五年)の女優なのだった。