瞬間日記抄(其ノ六)

銀座シネパトスで「女の中にいる他人」と「けものみち」を観る。昨年没した小林桂樹の追悼上映。会場の故人ゆかりの品のなかに昭和十六年に東宝を受けたときの不合格通知があった。東宝の計画部俳優募集係の通知書簡は候文でしたためられている。こうしたものまで丹念に取っておく人だったのだと知る。

女の中にいる他人」で田代勲(小林桂樹)は友人の杉本隆吉(三橋達也)の妻さゆり(若林映子)と情事を重ねるうちSMプレイのまねごとから衝動的に絞殺してしまう。性技の果ての絞殺といえば江戸川乱歩描くところのD坂での古本屋のおかみさん、阿部定さんの愛人吉蔵さんが思い浮かぶ。やれやれ。

深層心理ではセックスと死は隣り合わせているものらしい。「D坂の殺人事件」、尾久の待合での阿部定事件エドワード・アタイヤ 『細い線』を原作とする「女の中にいる他人」。首をしめ、しめられる行為が官能を高めるというのは普遍性があるのか、実験に及ぶ度胸も気合も持たぬ身の僕的には不明。

野口冨士男の小説『風のない日々』に、二・二六事件の直前のある日、島野という猥談好きの銀行員が同僚に、さいきん入った映画館で休憩中に男同士の観客が、房事の最中に女の首をしめると快感が増すと話していたと口にする場面がある。お定さんの事件はおなじ昭和十一年(1936年)の五月だった。

昭和二年(1927年)生まれの吉村昭は、その著『昭和歳時記』で、阿部定事件のあと大人たちが笑いながらこの出来事を話題にしているのを見て、二・二六事件で重苦しくなった世間の空気がいくぶん明るいものとなったと感じたと述べている。暗い時代に「明るい」と感じさせる稀有な猟奇事件だった

阿部定事件当時満十一歳だった丸谷才一は子供心に一種の非常な賛美する気持と、暗い時代が「これで助かったという感じ」「とにかくパッと晴れた気がした」と野坂昭如との対談「お定さんとサザエさん」のなかで語っている。この出来事は明るく、そしてなんとなくユーモラスなものとして迎えられていた。


戦時色が濃くなるなか阿部定事件は昭和のはじめからつづいてきたエロ、グロ、ナンセンスの最後の大花火だったと丸谷才一は語る。この大花火に花を添えるのが「阿部定予審調書」。むかし、種村季弘編『東京百話』に収めてあるこの調書を一読一驚わたしはたちまちお定さんのファンとなった。

女の中にいる他人」(1966年)の成瀬巳喜男監督が松竹に辞表を出してPCL(のちの東宝)に移ったのは昭和九年(1934年)六月のことだった。松竹に小津安二郎は二人いらないと言われたと巷間伝えられているが、ほんとうのところどうだったのだろう。

女の中にいる他人」の製作は藤本眞澄と金子正且。松竹をやめた成瀬の移籍先がなぜPCLだったのか。金子正且は、明治製菓に勤務していた藤本眞澄が成瀬に宣伝映画を依頼したりして親交があり、東宝に入った藤本が成瀬を引き抜いたと証言している。小津は二人いらないの真偽が気になる所以だ。

女の中にいる他人」と併映されていた「けものみち」には小林桂樹とともに池内淳子池部良が出演している。いずれも昨年亡くなられた方々で、思いがけずお三方を偲ぶよい機会となった。池内淳子は本作や「花影」を観ると、テレビのホームドラマで妖艶な女性のイメージを消してしまったのがよくわかる。