三代目柳家小さん 讃

パレスチナガザ地区を支配するハマスイスラエルを奇襲攻撃したのは先月十月七日だったからまもなくひと月になる。ミサイルをイスラエルにぶち込んだ。それにはこれまでの経緯があり、空は見えても牢獄状態にあるガザ地区のいまがあってのことだろう。

そこでイスラエルの反撃だが、目には目を、すなわち目をやられたら目を限度に復讐をせよ、とはまいらずガザ地区は人道危機に陥っている。とはいえ他国が、反撃はほどほどにしてほしいと自制を説くのは難しく、ハマスだってイスラエルの反撃は織込み済みだろう。

イスラエルとしてはハマスに対するに利子を付けてお返しするとか、大日本帝国の標語「進め一億火の玉だ」とならざるをえず、かくしていまのところ妥協はない。むかし金丸信という政治家が、政治は足して二で割るでよいといっていて、ばからしいと思ったが、いま振り返ると、それなりの故智と見えなくもない。

イデオロギー、宗教、信念の基盤には他への寛容があって然るべきだが現実には極めて難しく、もう、どうなとなれ、と投げやりになってはいけないのはわかっていても自分が平和のためにできることは何もなく、かくてニュースを見ながら、ときに牧水の歌集に目を遣り、独酌するばかりだ。

「みな人にそむきてひとりわれゆかむわが悲しみは人にゆるさじ」(若山牧水

「酒の香の恋しき日なり常盤樹に秋のひかりをうち眺めつつ」(同)

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向田邦子のエッセイに、レコードが音盤、野球のストライクが「よし」とされた戦時中、だったらブルマーはなんというのかしら、と話しているうちに「女子運動用黒布襞入裁着袴」なんて案が出ていたとあった。わたしは団塊の世代だから、体育の授業で女子はブルマーを着けていて、思い返すと変なものだった。

いま男女ともにも短パン姿で運動をしている光景を見ると、かつての女学生の世界に憧れるオトーサンにとっては残念かもしれないけれどブルマーなんてなくなってよかったと思う。スポーツウェアにとどまらず服装のユニセックス化はこれからも進んでゆくだろう。

何年かまえからズック靴やスニーカーを履いている女性をよく見かけるようになった。スニーカーで通勤している方も多くなってきているようだ。パンプスやヒールの靴を否定しているのではなく、それらを強制する風潮が改められるのはとてもよいことだ。

森鴎外『椋鳥通信』を読んでいると、鴎外が一九一一年一月九日に発した記事に「フローベールの小説『サランボー』にあるように、金の鎖で足と足とを繋いで、女に股を開かせないようにすることが、巴里では又流行しはじめた。但し昔のように錠前は厳重ではない」なんてあり、二十世紀になってもまだこんなばからしいことしてたんだと呆れてしまった。

時間は前後するが同書一九0九年四月五日発の記事に「巴里では女が短沓に足輪をはめる。足輪というと分りにくいが、腕輪のようなものを足にはめるのである。明色の靴には足輪を琥珀で飾る。灰色のSport沓にはRubin(ルビー)で飾る」。

これ、アンクレットを初めてわが国に紹介した記事かもしれない。わたしがはじめてアンクレットを知ったのは「深夜の告白」でバーバラ・スタンウィックがアンクレットで脚線美を強調していたシーンだった。おなじビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」ではオードリー・ヘプバーンゲーリー・クーパーに、大人の女に見られたくてバイオリンケースのキーを付けた鎖をアンクレットにするシーンがある。ビリー・ワイルダーはアンクレットがお好きだったのだろう。

アンクレットで脚線美を強調したり、金の鎖で足と足とを繋いだりしてから、ズック靴やスニーカーまで、この百余年の女性の足をめぐる物語である。

せっかくだから目を頭にやると鴎外は「女の粧飾に額の珠というのが流行りだした。孫悟空の額に嵌めているようなものを頭に嵌めて、前の両端から細い金鎖を出して、額の真中に珠が下るようにする」というファッションを伝えている。

なお、金の鎖で足と足とを繋いで云々のフローベールによせて鴎外は『ボヴァリー夫人』は雑誌連載中その筋からたびたび注意を受け、書籍として出版されたときに告訴され、裁判は無罪だったが、長きにわたり作者は猥褻作家と見なされ、「ずっと後にゴンクールやゾラのような一層猛烈なのが出てから、フロオベルどころの騒ぎではなくなった」と述べている。しかしこのときベルリンではフローベールの日記が猥褻として告訴されており、鴎外はこの裁判での鑑定人リヒャルト・デーメルの証言をも伝えている。

「フロオベルが芸術的目的で製作したことは知れきっているから問題にならない(中略)それを読者が猥褻に思うなら、それは読者が悪いのである」。

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『椋鳥通信』は森鷗外が伝えた一九0九年から一九一四年にかけての世界の時事ニュースで、シベリア鉄道が開通し、欧州の新聞や雑誌がおよそひと月で日本に届くようになったことから、それを翻訳して毎月発表したのだった。鴎外はいまならYouTuberになっていただろう。

 ルーズベルトアムンゼンシュトラウストルストイ、ヴィルヘルム二世等歴史上の人物たちが、同時代人として現れ、モナリザ盗難事件、オーストリア皇太子暗殺事件などがホットに伝えられるいっぽうで無名の人の耳寄りな話も採られている。

サンフランシスコへドイツ人が蚤の芸を見せに行ったところ、土地の蚤より性の悪いドイツの蚤が繁殖しては困ると言い出した人がいて興行は差し止められたとか、イタリアの詩人エドアルド・ボネルはメッシーナ地震で死んで、死骸が見つからずにいたところ、このごろになってある娘がそのありかを夢に見て発掘したといった。後者は岡本綺堂の本にありそうな奇談である。

鴎外が伝えた大事件のひとつに一九一二年四月十四日深夜、北大西洋上で氷山に追突し、翌日早朝に沈没したタイタニック号の出来事がある。

タイタニックの死者は一等二0二人、二等一一五人、三等一七三人、水夫二0六人、士官四人、計七0三人である。イジドー・ストラウスの妻は小舟に乗ることを辞して夫といっしょに静に死を待っていた」

『椋鳥通信』の編者池内紀氏のコラム「タイタニック号の沈没」によると「最終的には乗客千三百八人中、八百十五人、乗組員八百九十人中六百八十八名が犠牲になった。『椋鳥』の告げるのは、大混乱のなかで発表された数字の一つと思われる」とのことだ。

総トン数四万六千トンのタイタニック号の船名はタイタン(巨人)に由来し、「不沈船」とうたわれたが、そこには何事も人間の力でコントロールできるという傲慢、驕慢が感じられる。

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知人がSNSに「11時に、もうすぐ休業の山の上ホテルを目指すも、カフェは40組待ち😓そのまま久々のランチョンへ🍻🍳」「 いつまでか未定の休業らしいっす」と投稿していて、ホームページを見ると「建物の老朽化への対応を検討するため、2024年2月13日より当面の間、休館」とあった。

二十年ほどまえ、高知在住が二人、東京が一人、横浜が一人の家族が、東京で待ち合わせて前泊し、ニュージーランドに旅した。四人家族で行った唯一の海外旅行で、そのとき泊まったのが山の上ホテルだった。懐かしいな。

さいわい、ホテルの担当者は「一度、休館のお時間をもらった上で建て直す方針です。皆様にはご迷惑をおかけしますが、何とぞご理解いただけますようお願い申し上げます」と語っている。リスタート、楽しみに待っているよ。

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小春日和の一日が好きで、おなじ季語も大好きである。小春は陰暦十月の異名で、移動性高気圧におおわれ風も穏やかで暖かく春を思わせる日和となる。中国の『荊楚歳時記』に「天気和暖にして、春に似る。故に、小春(しょうしゅん)と曰ふ」とあり小春(こはる)はここに由来する。「小春風」「小春凪」「小春空」などとも用いられ、『徒然草』には「十月は小春の天気」とある。

小春日和に相当する英語は、インディアン・サマー(Indian summer)で、北米で中秋から晩秋にかけ異常なほど温暖な日が続くことがあり、この期間を指していう。辞書には、秋の乾いて暖かな天候の時期とあるが、これをなぜインディアン・サマーというのかはよくわかっていない。一説にはこの時期を利用してアメリカ・インディアンが冬のために収穫物を貯蔵する作業を行う慣習をもっていたからという。

なおヨーロッパでは老婦人の夏(old wives summer)とかカワセミの日(halcyon days)といったりするそうだ。

英語辞書のインディアン・サマーの語義の二番目には、とくに人生の晩節にあって成就や向上を実感する心地よい時期とある。(オックスフォード現代英英辞典)まさに「人生の小春日和」で、こういうのを見ていると「西洋人だって吾々だって人間としてソンなに異なったことはない」(夏目漱石「倫敦のアミューズメント」)と思う。

もうひとつ季節にちなんだ話題を。           

「老愁は葉の如く掃えども尽き難し/蔌蔌(そくそく)声中又た秋を送る」(館柳湾「秋尽」)

鈴木瑞枝『館柳湾』(研文出版)には「年をとったことに伴う愁いは、この秋の木の葉のようで、除こうとしても除ききることは出来ない。パラパラ葉が散る音と共に、今年の秋も過ぎ去ろうとしている」と訳がある。永井荷風は「葷斎随筆」にこの詩を引用して「日々掃へども掃ひつくせぬ落葉を掃ふ中いつしか日は過ぎて秋は行き、冬は来る。われは掃葉の情味を愛して止まず」としるした。

「落葉焚くあをきけむりはほそほそと木の間を縫ひて夕空へ行く」(若山牧水

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かねてより寺田寅彦の随筆を愛読してきたが、近ごろご無沙汰しているところへ先日『近代作家追悼文集成[25]寺田寅彦』(ゆまに書房平成四年)を入手した。こんな本があるとは知らなかった。寅彦の随筆とは別に周囲の人々の語る著者の人間像や回想は手つかずのままなのでこの追悼文の集成はまことにうれしい拾い物だ。

同書は『渋柿』262号(昭和11年2月1日)と『思想』166号「寺田寅彦号」(昭和11年3月1日)を復刻し一書としたもので、両誌とも寅彦と関わりの深い雑誌で、安倍能成の弔辞にはじまる追悼と回想は六十九篇にのぼる。

架蔵する未読本に中谷宇吉郎寺田寅彦 わが師の追想』(講談社学術文庫)があり、よい機会だから『近代作家追悼文集成[25]寺田寅彦』と併せて読むこととした。

その『寺田寅彦 わが師の追想』に「(チャプリンは)偉いね 。道化た真似でも 、あれだけになると 、必ずその中に何か本当のものを捕らえている 。どんなことでも 、本当のものを捕らえている以上 、そいつはなかなか真似の出来るものじゃ無いんだ 」という寅彦のチャップリン評があり、寅彦はさらに岡本一平柳家小さんを讃えている。

夏目漱石三四郎』では佐々木与次郎が「小さんは天才である」として「小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい」と名人の所以を語っている。三代目柳家小さん(1857-1930)明治二十八年三月師匠二代目の改名を機にに三代目を襲名した。

それにしても夏目漱石寺田寅彦が口をそろえて名人と褒め讃えた三代目柳家小さん、えらいもんだなあ。漱石の小さん名人論はよく知られていて、わたしも知ってはいたけれど、寅彦のほうは中谷宇吉郎の本を読むまで知らず、漱石と寅彦がいっしょに寄席に行っている姿が浮かんだ。

小さんについては内田百閒が東大の学生だったころ、小さんの名声が高くなり大学生のなかにも贔屓が多くいて本郷の若竹亭で何度も独演会を催し「小さんはいつも真面目であつて役で笑ふ以外に高座の笑顔を見た事はない」とその姿を伝えている。(「その時分」)

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先日、安室奈美恵の楽曲がApple MusicやSpotifyなど各種定額制音楽配信サブスクリプションサービス)から楽曲が消えたと報道があった。そのため中古品販売店やレコードショップでは安室さんのCDが品薄になっているとか。わたしもあるサブスクを契約しているから心配なニュースではある。

安室奈美恵は聴いたことがないから実害はないものの、わたしはけっこうKindleで本を読むから、ある出版社がKindleとの契約を打ち切ると当方の持つ当該社の本は読めなくなるから安室事件は他人事ではない。本、CDは現物で持っておくのが安心ではあるが費用や置き場を考えるとそうもゆかない。

A rolling stone gathers no moss.

転がる石に苔はつかない。ひとつに仕事や住居住をひんぱんに変わる人はお金がたまらない、他方で活動的な人はいつも新鮮とされる。人間の知恵であることわざにさえ両義性があるのだから音楽のサブスク、電子本が便利と危険がセットになっているのは仕方がないか。

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十一月二十七日。日本大学アメリカンフットボール部の三年生の男子部員が密売人から大麻とみられる違法薬物を購入したなどとして麻薬特例法違反の疑いで逮捕された。三人目の逮捕者で、日大はアメリカンフットボール部の廃部を決めたと報じられている。

学業とスポーツにまじめに取り組んできた部員やスポーツ推薦で日大進学を決めた受験生には気の毒で、それらの学生たちの活動の場と機会を奪う措置が適切かどうかは賛否両論あるだろう。廃部か再建かは大学がお決めになることであるが、仮に廃部となれば犠牲になった学生たちのケアにしっかり取り組むよう願うばかりだ。

大沢在昌『毒猿 新宿鮫2』に「覚醒剤は、押収すれば新聞記事になるし、功績として評価が高い。反面、トルエンやシンナーは、覚醒剤に比べれば、制服警官の領域であり、子供の遊び道具といった見方をされている。だが、中毒者以外に、被害者を生み出す点では、覚醒剤にひけをとらない」とあり、ここから考えるに大麻を軽く考える風潮はあるようだ。

在職中、研修会で覚醒剤経験者の話を聞いたことがあり、ここでも覚醒剤に比較すればシンナーや大麻などはクスリとはいえないと語っていて、この世界にも松竹梅、上中並などの比較があるのかと苦笑した。

比較と競争があれば分類とランクづけは避けられず、みなさんこの種のことが大好きである。