黒船来航から新型コロナウイルスまで

ペリーの黒船が来航したのは嘉永三年(一八五0年)のことだった。その三年前、米国はオランダに日本との通商について仲介を依頼していて、オランダはこれを断ったうえで徳川幕府に知らせ、その後もアメリカ側から得た情報を伝えていた。

これに先立つ天保十年(一八三九年)幕府は対外的危機を訴え、鎖国政策を批判した渡辺華山、高野長英などを捕らえ、獄につないだ。(蛮社の獄

つまり幕府は世界の動向をそれなりに承知していて、そのうち米国が開国を求めてやって来ることもわかっていた。だったらどうすればよいか。対応方針を決める時間はあったにもかかわらず、一寸伸ばし、その場しのぎを繰り返すうちにとうとう黒船がやって来て大あわてとなった。

このかんの徳川幕閣の心理状態を半藤一利氏は「起きたら困ることは起きないことにしようじゃないか、いやこれは起きないに違いない、そうに決まっている、大丈夫、これは起きない」そして太平洋戦争のときもおなじだったと述べている。(『幕末史』)

「起きたら困ることは起きないことにしよう」の原型は『古事記』か『日本書紀』にあるかもしれないが、それはともかく、これは丸山眞男の用語を借りると危機対応の「古層」といえそうだ。

ことし一月に日本を訪問した中国人の数は一年まえと比べると22.6%も増加していたそうだ。中国では一月の後半、新型コロナウイルス感染者数が激増していて、日本政府は一月二十三日に航空機で来日した中国人乗客の検温を開始し、二月一日になって武漢のある湖北省からの訪問者を入国禁止するという措置をとった。

その前日の一月三十一日、アメリカは中国全土から来る訪問者を入国禁止とした。

台湾の蔡英文政権は一月二十六日に湖北省の住民の入境を禁止、二月六日には中国本土在住者の台湾入境とクルーズ船寄港を禁止した。

日本政府の対応のゆるさについては最近よく耳にするようになった「インバウンド」(訪日外国人旅行)のもたらす経済効果への固執だとか、来日が予定されている習近平国家主席にたいする「忖度」を指摘する向きがある。くわえて、中国政府が武漢を封鎖してウイルスが拡散しないようにしたし、人から人への感染はないといっているのだからと事態を注視しながらも、心の底には日本では起きたら困ることは起きない、起きないに違いないとの思いがあったような気がする。もしもこの想像が当たっているとすれば新型コロナウイルスは危機対応の「古層」を表層化したことになる。

夏には東京オリンピックパラリンピックが控えている。さまざまな対策が効果をあげ、夏場に弱いとされるウイルスの活動が弱まるよう期待するいっぽうで(しかし南半球はいま夏なんだよなぁ)、イングランド北西部で公衆衛生の責任者を務めたジョン・アシュトン博士が、東京五輪組織委の最高責任者が「五輪延期について考慮さえしていない」と発言したのは賢明な判断ではなかった、「スポーツの実行委員会なら、想定外のことを想定し続ける必要があります。これが私のアドバイスです」と語ったとの報道があった。

東日本大震災を経験した日本人には「想定外のことを想定し続ける必要」は痛切であり、そしてこの真逆に「起きたら困ることは起きないことにしようじゃないか、いやこれは起きないに違いない」がある。ここのところで黒船来航、太平洋戦争、原発新型コロナウイルスはつながっている。

 

 追記。二月十六日に行われた新型コロナウイルス感染症対策本部の会合に小泉進次郎環境大臣森雅子法務大臣、荻生田光一文部科学大臣が欠席し、地元での新年会など私的な会合に出席されていた。

新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため安倍首相が大規模イベントの自粛を呼び掛けた当日の二月二十六日には首相補佐官秋葉賢也衆議院議員政治資金パーティーを開いていた。起きたら困ることは起きないのである。

「あやまちはくりかへします秋の暮」(三橋敏雄)