新コロ漫筆~二回目の接種のあとに

七月二十二日に新型コロナウイルス予防の二回目の接種(ファイザー)をしてシリーズを終えた。テレビではわたしと同世代とおぼしき高齢者が、接種を終えてこれでひと安心とか、肩の荷が下りましたと笑顔でおっしゃっていた。

自分もあんなにハッピーになれたらよいのにと思わないでもないが「厚生労働省は7日、この日開かれた専門家の新型コロナワクチンの副反応を検討する合同部会で新型コロナワクチン接種後に死亡した事例556件を報告した」(「日刊ゲンダイ」七月八日)といった記事を読むとそんな気になれない。

(附記。厚生労働省は8月4日、新型コロナウイルスのワクチン接種後に死亡した人が7月30日までに、ファイザー製912人、モデルナ製7人の計919人だったと明らかにした。いずれもワクチン接種との因果関係が認められなかったとしているけれど・・・)

不安や危惧を覚えながら接種した方もいるはずだがその声はテレビに反映されない。ワクチン礼讃ばかりだと裏に何かあるのではと余計に怖しい気がする。性格が歪んでいるのか、暗い部分に目を向けすぎるのかよくわからないが、因果関係の有無はともかく、漠然と想定していたよりも亡くなった方が多いから仕方がない。三桁になるなんて思いもよらなかった。

接種前日は飲酒は避けるよう、接種当日は激しい運動は止めるようネットにあったのでそれに従った。ただし当日の運動は接種後のことと解釈し、朝起きていつものように不忍池の周回を主に7キロほどを走った。それに毎日の走りは習慣だから激しい運動には当たらない。

夕方には、痛み、発熱までは甘受するのでそれ以上はないよう願って晩酌をし、目覚めると東京五輪開会式の日の朝である。二度目のあとの副反応は総じて厳しいと聞いていて、やはり接種した左腕の痛みが強く、走リたくても前段のストレッチ、筋トレをする気になれず、お休みするほかなかった。わたしとしては、めずらしく休む勇気を発揮できた。

翌二十四日の朝はありがたいことに痛みはほとんど引いていた。一回目のときはジョギングを休まなければならないほどの痛みはない代わりにゆるい痛みが四、五日続いたが、今回は痛みは強烈だったが引くのは早かった。

そこで昨日のぶんを少し取り返しておこうと弥生坂~本郷通り駒込~田端~開成学園諏訪神社~谷中~根津を走り、不忍池でフィニッシュした。(11.14km、5分44秒/km)

オリンピック期間中、当初の計画通り上野公園にパブリックビューイングが設置されていたら危険でしばらく近づけなかったから、あらためてこの感染状況での無観客、パブリックビューイングを設けない措置はよかったと実感するとともに大きく作用した世論の力に感謝した。高齢者としてはリスクは取ってほしくなかったが、いまとなってはオリパラの翳が及ばないよう、バブル内で完結するよう願っている。

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いま蓮の花の季節の上野公園。正式名称上野恩賜公園は、やんごとない方面から下賜された公園である。東京在住の高齢者としては安全第一を願い、リスクを取ってまでオリンピックパラリンピックを開催するのには反対だったから、オリパラに反対するのは反日的という安倍晋三的地平からすれば反日的、つまり非国民となるけれど、恩賜公園感染症から守る気概は朝飯前でしっかり持っている。

有観客で華々しく迎えられたらよかったが、無観客のほうが安全なのだから残念や悔しい気持はない。それに下流年金生活者には高い金を払ってまでスタジアムで観戦するゆとりはない。

子供のころ、大川橋蔵中村錦之助が主演する江戸の火消しの映画をみて、帰宅すると棒切れや新聞紙で纏のようなものを作って、屋根に上がろうとしたことがあったそうだ。 稚拙、下手でもよいから自分で何かしてみたい気質だから、観戦よりも自分がプレーするのが好きなタイプに属する。東京五輪での日本選手の活躍を願いながら、しかしそれよりも自分が長距離を走って1秒でも早くフィニッシュすることが大切である。オリンピックのアスリートたちがもたらす感動や勇気よりも自身のチープな感動や勇気に固執するイヤなやつなのかもしれない。