タコノキ

名前は失念したが何とかという東大の英語の先生は、たいへんな実力の持主だったが植物名だけは苦手で、授業で樹木や草花が出てくるとすべて「ニワトコ」にしていたそうだ。たしか丸谷才一さんのエッセイで読んだ。

写真はさきごろ南イタリアを旅したとき、シチリアパレルモ植物園で撮った。横に広がることおよそ十メートル、その伸びた枝を自身で支えていて、はじめて見る奇妙奇天烈な樹にしばし呆然だった。花鳥風月でさえ無縁のわたしが外国の異様な樹の名前を知るはずもないのだが、かといって「ニワトコ」で済ましたくない。そこで、ときどき調べてみようとしたけれど手がかりすらなかった。
ところがこのあいだ『日影丈吉傑作館』(河出文庫)を読んでいたところ、「消えた家」という短篇に「林投(ナアタウ)というのは、八丈島にもすこしはあるタコノキで、荒涼とした海岸などに、ぼさぼさと密生している気の狂ったような恰好の樹」とあった。
日影は太平洋戦争中、台湾の部隊にいて、ここを舞台とする小説をいくつか書いている。台湾の怪談を話題にした「消えた家」もそのひとつで「ここの幽霊の代表的なものは林投姉といって、林投(ナアタウ)の樹の下に出る女の幽霊だろう」という箇所にうえの文章が続く。
ここのところで「林投(ナアタウ)」はパレルモで見たあの樹のことを言っているのではないかとピンと来た。ネットで「林投」と「タコノキ」を検索してみたところ「沖縄百科事典」というウエブサイトに「小笠原タコノキ」の写真があり、パレルモの樹と較べるとずいぶん小ぶりではあるが類似していて、またWikipediaの「タコノキ」の説明には「タコノキ科植物全般に見られる特徴として、気根が支柱のように幹を取り巻き」とあった。
そんなわけで、おそらくパレルモの樹もタコノキ科に属するとしてよいと思われる。台湾を媒介とした日影丈吉パレルモとの思わぬ取り合わせであった。
一七八六年年九月から一七八八年四月にかけてイタリアを旅したゲーテの『イタリア紀行』にもタコノキとおぼしき樹が見えていて、シチリア滞在中の一七八七年四月六日の記事に「波止場のすぐ傍らにある公園で、私はもの静かな、楽しい時間をすごした。ここは世にも不思議なところである」「珍奇な、私などのまったく見たことのない、恐らくより南方の産らしい樹が、まだ葉もつけないで奇妙なふうに枝をひろげている」とある。(相良守峯訳、岩波文庫
過日わたしたちが泊まったパレルモのホテルも港の近くにあり、そこからあるいて旧市街の中心クアットロ・カンティをめざしたのだが、しっかり予習をされている同行の方がいて、とちゅう植物園へ寄ってみたいとおっしゃるのでおつきあいさせていただいた。
閑静で整然とした緑地公園ヴィッラ・ジュリアと隣り合った植物園について、ガイド本には一七九五年(一説に一七八九年)に設立されたヨーロッパでも有数の植物園で、十ヘクタールに一万二千種の栽培植物が見られるとあった。
植物園の設立年にふたつの説があるが、どちらにしてもゲーテシチリアに滞在したときはまだオープンしていない。かれが訪れたこの公園は岩波文庫の註釈にヴィッラ・ジュリアとあり、現在の植物園はまだ公園の一部だった。
そこでゲーテの見た「珍奇な、私などのまったく見たことのない」樹になる。確証はないけれど「南方の産らしい樹が、まだ葉もつけないで奇妙なふうに枝をひろげている」のはあのタコノキ以外に考えられない。ゲーテの言う「世にも不思議なところ」には日影丈吉の「気の狂ったような恰好の樹」があり、ここでかれは「もの静かな、楽しい時間をすごした」のだった。
こうしてゲーテの見たタコノキをわたしも見てきたと勝手に思い込み、悦に入っているのだが、拠り所はと問われると困る。タコノキならびに『イタリア紀行』について詳しい方がいらっしゃいましたらご教示ください。